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シャッター音に顔を上げると、案の定カメラを構えた男の姿が目に入ったので、真美は少し怒ったような顔をした。
「もう、隼人さん、写真を撮るときはせめて一声かけて、ってお願いしてるのに」
「ワリワリ、つい、どうしてもさ」
大して悪びれた風もなく屈託無く笑うと、隼人は手にしたカメラを大切そうに手で一撫でしながら呟いた。
「それに、シャッターチャンスって一瞬だろ、いちいち断ってちゃ、逃がしちまう」
「つまり後から検閲しろ、ってことね、分かりました」
「容赦ないな、真美さ〜ん」
折角決まったと思ったのに、と些か情けない顔をする隼人に微笑みかけて、真美は色々なもので膨らんだ白衣のポケットから、キャップ付きの大きなレンズを取りだした。
「うお、真美さん、ドラえもんみてぇ」
「からかわないでよ。はい、さっき子供にお使い頼んだでしょう? 真美先生持っていってくれ、って渡されたわよ」
「あれ? 本人は?」
「川で魚を捕るって誘われて飛び出していったわ」
「ありゃ」
なんだよ、撮らせてくれるって約束だったのに、と頭を掻く隼人に、真美が苦笑して隼人さんも行ってきたら、と促す。
「隼人さんが来てくれたら喜ぶと思うわ、あの子達」
しかし、大抵の場合こういうイベント事には乗ってくる隼人が何故か渋い顔をする。
「カメラが水に濡れるのはなぁ……」
「……一緒になって遊ばなければ濡れたりしないでしょ? もう、川に入るつもりだったの?」
呆れ顔の真美にそうか、と戯けて見せながら、隼人はすかさずカメラを構えてシャッターを切った。
「〜〜〜〜〜っ、もう、隼人さん!」
「いや、今の怒った表情、実に良かった!」
「消しなさいよ、それデジカメでしょう!?」
「遠慮しなくっても、ちゃんとデータにしてプレゼントするって、俺の珠玉の真美さん・百面相コレクション」
「いらないわよ! どうせ変な顔ばっかりなんだから!」
「いーや、そんなことないぞ? 一割くらいは真面目な写真も入ってる」
「残り九割を見せなさいよ!」
「職業上の機密だから、なかなか見せらんねぇなぁ」
「隼人さん!」
他愛ない口論の後、逃げ出した隼人の背中を見送りながら、真美は苦笑を浮かべた。
「……全く、写真でくらいまともな顔で見られたい、って乙女心は分かんないのかしら」
そういえば、隼人の前では必要以上に眉を吊り上げていることが多い気がする。まぁ、それもこれもあの調子のいい男が真美を怒らせるような軽口を叩くのがそもそもの原因なのだが。
「嫌だな、私、隼人さんの前では、怒ってばっかり」
ガモン共和国の難民キャンプにふらりと隼人が流れ着いて来てから二人の関係は変わらなかったが、それでも、子供達も真美も笑顔を浮かべること無かった頃よりも、彼、一文字隼人が「仮面ライダー」であることが発覚して以来、格段に笑顔を見せるようになっているとは思うのだが。
過去の自分には、明らかに余裕がなかった。隼人に当たったことも、実は一度や二度ではない。尤も、隼人は普段通りのあの飄々とした調子で真美の八つ当たりに近い激情などあっさりかわしてしまっていたが。
「風のような人よね、本当に」
捕らえることは決してできないのは分かっているから、せめて最高の刹那の時を過ごして貰いたいのに。口にするのは憚られる願いを胸に浮かべた真美は、複雑そうな表情で軽い溜息をついた。
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数日後、ここの所恒例となっているガモン共和国での短期滞在を終えて、隼人はロンドンに借りているアパートメントに戻っていた。
明日には、バダンの脅威が本格化しているとの連絡があった日本へ赴かねばならない。その前に仕事の方にも目処を付けておくつもりであった。
ちなみに、現在隼人が本業の写真家として追い掛けている仕事は、ガモン共和国の内戦から復興への道程である。何も遊びに行っている訳ではない……というのが訪れるときの建前である。
最近はフィルムを用いた現像をするよりも、デジカメのデータをパソコンに取り込んで処理する事が増え、何時の間にやら立派な仕事道具と貸しているパソコンの前で、隼人は今回撮影した写真の一覧を見ていた。
「お、……真美さん」
その中から一枚の写真を選び出し、隼人は暫く画面上でそれを眺めた後、徐にプリントアウトして手に取った。写真の中の真美は、本人が見たらいつ撮したのかと首を傾げそうなくらい自然な笑顔で微笑んでいる。
実は四六時中彼女の笑顔を追い掛けて撮しているとはとても言えず、隼人は手にした写真に苦笑を浮かべた。真美にはあんな軽口を叩いたが、隼人の所有している真美の表情のコレクションは、或る意味ではとても本人には見せられそうもない。いや、それ以前に誰にも見られたくないものだ。その位、隼人と居るときの彼女は無防備な笑顔を見せてくれることが多くなっている。まぁ、本人はあまり自覚がなさそうだが。
真美は、子供達を前にしているとき、医者としての職務を全うしようとしているときに、最高にいい表情を見せる女性だ。仮面ライダーとして彼女の前に立った時も、毅然とした態度の彼女や、泣き顔の彼女を前に、この手に今カメラがあったらと不謹慎な感想を抱いたものだった。
あまり想像したくないことだが、もしも自分が仮面ライダーとして何処かの戦場で倒れた時には、このパソコンのデータの消去を本郷辺りにでも依頼しておきたいものである。滝にでも見つかったら、何を言われたものか分からない。
いや、そもそも、ガモン共和国で居る時に誰かに視界でも繋がれたらそれこそ一大事だが。
「……あんまり迂闊に真美さんの前で仮面ライダーに変身しないようにしないとな」
呟いた隼人は、真美の首に相変わらず巻かれている赤いマフラーをどこか面映ゆい気持ちで見つめた。
彼女の首にあのマフラーが巻かれている限り、自分はあそこに行ってもいいのだと、許されているのだと思うことができる。あまり一所に居場所を作らない隼人にとって、これはなかなか新しい体験であった。
あの場所では、一文字隼人という流離う季節風も、穏やかに、優しく吹き抜けることができるのだ。だからといって、無論じっとしていられる訳ではないが。風は、留まればその存在を無くしてしまうのだから。
どんなにあの国での時間が優しいものであろうと、留まることは許されない。日本での戦いは、きっと熾烈を極めるだろうが、それでも赴かねばならない。隼人は、何よりもまず「仮面ライダー二号」なのだから。
「ごめんな、君だけのヒーローで居られなくて」
画面の中に切り取られた刹那の彼女を思い、隼人は写真の中の笑顔にそっと敬虔な口付けを落とした。それが胸に密やかに温めている願い事の一つであるとは自分でも気付かないまま。
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+++END.
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