ココロノ旅
-World Hopper-

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4:『EMPTY HEART』



 それは、隼人と滝がガモン共和国を去ることになったその日の前の宵だった。

 カルテのチェックをしていた真美の所に、よっ、と軽く手を挙げながら滝が入ってきたのだ。
 何か用事でも、と立ち上がろうとする真美を制し、滝はちょっと微笑んでみせた。

「真美さん、ちょっといいかい」
「ええ」
 頷いて椅子を勧める。滝はアリガトよ、と断って腰を下ろし、ぽつぽつと語り始めた。
「隼人のヤツ、治療断ったって?」
「そうなの、かなり深い傷だったのに、子供達や貴方の方を優先してくれって」
 自分は改造人間だから、傷の治りも早いから、平気だってそう言うの、そんな訳ないのにと少し泣きそうな表情でぽつり呟いた真美に、滝が少し真剣な声音になった。

「あいつらはみんな、自分の痛みより他人の痛みに敏感なのさ」

 その口調と告げられた言葉に、ライダー達の知り合いだという滝自身の深い痛みを伴う感情が込められている気がして、真美が男の顔を覗き込む。
「滝さ…」
「ちぃっとばかり人様より頑丈に出来てるからって、心臓が無いからって、それじゃ余計に空っぽのハートは鍛えられないってのによ」
 あいつらその脆さにちっとも気付いちゃいねえ、呟く滝の口調は怒ったようでも己の無力さに歯がみするようでもあり。立ち入れない壁のような物を感じて、真美はそっと顔を伏せた。
「だからよ、真美さん」
「?」
 突然滝に名前を呼ばれ、真美は顔を上げる。滝は、普段のどこか飄々とした笑顔の中で、瞳にだけ真摯な色を浮かべて真美を見ていた。

「俺の親友は天然ボケとドン臭いのが二人揃っててさ、世話が焼けることこの上ねーのよ」
「滝、さん」
 ひょい、と滝が頭を下げる。
「真美さん、一文字を頼むな。正義の味方とか、仮面ライダーとか思えねーくらい鈍くさいヤツだけど、根っ子は真っ直ぐだからさ」
 滝の思いがけない言葉に、真美が文字通り飛び上がる。
「た、頼むって!」
「あれ?言葉通りの意味だけど。俺もさー、一号ライダー二号ライダー両方はお守り出来かねるときあんのよ」
 言った後で、あの子供達、あんたには懐いてたなぁ、だから俺もあんたを見込んで、と続ける。

「だから、アイツの、一文字の心が痛いのに、あの鈍くさい男より先に、気付いてやってくれないか、真美さん。一文字の身体には確かに医者はいらねぇかもしれないが、心は別だ。あんたが一文字の心を癒してやれる医者になってくれればいいと、俺は本当に思ってる」

 滝の言葉の雰囲気と、日系人らしく頼む、と下げられた頭に、咄嗟に真美は何も言い返すことが出来なかった。







 子供達が隼人と滝と写真を撮りたいと言ったので、真美は隼人のポラロイドカメラを借りて即席カメラマンを買って出た。

 隼人が側について、撮り方のコツを教える。真美の腕を取り、ポラロイドカメラを握らせて固定する。
「いいか、真美さん、こう構えて、そう…体がぶれないようにな」
「これでいいかしら?」
 上出来だ、と隼人は笑って彼女の背を叩いた。
「おう、後は腕を震わせないようにだけ意識集中してな」

 そして、真美は二枚の写真を撮った。一枚は子供達の部屋の壁に貼り、もう一枚は自分の机の前に貼る。

 子供達の部屋の方の写真には、隼人と滝の元気のいい字で「I'll be back !!」と決まり文句と二人の名前が書き込まれた。
 真美の手元の写真には、隼人が日本語で「またくる!」と書き殴る。滝には遠慮されてしまった。

「それより、ツーショットとか撮っとかねぇの、一文字と真美さん」
 滝がからかうような口調で言い、子供達が同調する。真美がうっすら頬を染めて何か言い返すより先に、隼人が笑ってカメラを真美の手から取り上げる。

「あのな、真美さんだって二人だけよりお前達と写った方が嬉しいと思うぞ?ほら、寄った寄った!」

 快活に、何でもないことのように言いながらしっしと真美を子供達の方に追い払う。まるで、真美との関係が変質するのを恐れるかのように。

 ああ、この人は、と思った。
 この人は、みんなのヒーローであろうとしている人であるのだ、と。

―――誰か、などには捕らわれるのを恐れる人なのだと。

 突然見抜けてしまった真美は、子供達と一緒に微笑んで彼の被写体になることしかできなかった。
「そうよ、私だってお化粧の一つもしないでプロカメラマンに写真撮ってもらえないもの」
 などと深刻さを感じさせないような軽口を叩く。
「ダイジョウブよ、俺腕いいから。最近は修正技術も発達してるしさ」
「どういう意味だか聞いても宜しいかしら、ミスター・一文字?」
「そりゃ言葉通りの…うわ、物投げるなよ!」

 普段通りの応酬を、隼人の方はどう感じ取っているのか真美には分からなかった。
 こちらを見る滝が眉を顰めているのも分かったが、だからといってどうすることもできる筈もなかった。







「じゃあな」

 元々さして多くない荷物を背負い、隼人が暇を告げる。滝は先に出て、子供達と名残を惜しんでいるはずだ。
 もしかしたら、気を利かせてくれたのかもしれなかった。
 そんな彼女や周囲の様子に気付いているのかいないのか、隼人は普段通りの飄々としたポーズを崩さない。

 言いたいことは沢山あったし、伝えたいことも堰を切る寸前の貯水池のように限界水位ギリギリまで来ていて今にも溢れ出しそうだったが、真美はぐっと口唇を噛んで堪えていた。
 自分を抑えていないと、とんでもないことを口走ってしまいそうな自覚はあった。

「また、ガモン共和国に来たら、その時は…」
 辛うじてそれだけを口の端に乗せるのがやっとだった。真美の唇が震えているのに、隼人が困った顔をする。
「俺は、真美さん」
 その言葉の続きを遮るように、一気に真美が続けた。
「仮面ライダーは正義の味方よ、例え間違った報道がなされていても、真実を伝えることが困難でも、ここの子供達も、私も、本当のことを知っているわ。ここは、いつでもあなたを、隼人さんを歓迎する、だから……」
 言っている内に自分でも何が言いたいのか分からなくなってくる。この国はそもそも真美の故郷ではないし、隼人の還る場所に成ろうなどと言うのはもっとおこがましい話だ。

「だから、」

 また来てくれる、とも会いに来て、とも言い難くて、真美はまた迷う。
 隼人との再会を願う心は本当だけれども、でも。

「…だから、ピンチの時は駆け付けて来てね、仮面ライダー二号」

 そう言うのが精一杯だった。隼人の体に僅かに走っていた緊張が解ける。その癖、少し落胆したような表情が憎たらしかった。

「勿論、世界の果てからでも。俺は、真美さんと、子供達の…味方だよ」
「ありがとう」

 手を伸ばして握手を求める。その手を握り、相変わらず柔らかくて温かいと心の奥に灯る明かりを感じながら、隼人が微笑む。

「ま、ちょっとコワモテで顔に傷が浮かんだりするけどさ、傷は男の勲章ってことで、ひとつ―――…」

 そう冗談交じりに言いかけた瞬間、握った手をぐいと引かれ、油断していた怪力を誇るはずの隼人が勢いで引き寄せられる。
 思いがけないほど近付いた彼女の顔の、その二つの黒い瞳の中に燃え上がる炎を見た気がして息を呑んでいると、隼人の腕を放した真美がぺちんとその両頬を挟んで怒鳴りつけた。

「そうやって、痛いのまで茶化さないで!いい?傷が浮かぶのなんてなんでもないわ!何度その顔を見ていると思っているの!」

 呆気に取られたように隼人が言葉を失って、何度も瞬きをする。
 睫毛の先が彼女の睫毛に触れそうな至近距離を不意に意識して、何か言おうとした舌が縺れた。
「だ」
「馬鹿にしないで」

 最後にもう一回ぺちん、と隼人の両頬を叩いてから解放し、真美はくるりと身を翻した。
 少し照れを含んだような声で、背中越しに隼人に向かって言う。

「強面なんかじゃないわ。私は隼人さんの顔が好きよ。笑っているのも、勿論怒っているのも」

 そのまま、彼の方を振り返ることが出来ずに床を眺めていると、ぽん、と軽く肩に手が置かれた。
 小さく名前を呼ばれた気がして躊躇いながらゆっくりと視線を上げると、隼人が手の先に何かを乗せて差し出している。

「これ」
「え?」

 隼人の手の上に乗っていたのは、トレードマークのようにもなっていた、常に首に巻いている赤いマフラーだった。

「受け取って…また、帰ってくるから。俺は、ここに」

 言いながら、手を伸ばしてマフラーをゆっくりと真美の首元に巻き付けていく。
 最後に緩く結ぶと、ぽんと結び目を優しく叩いて落ち着かせた。

「これが、約束だ」

 言葉を失って、ただ頷くだけの彼女の前で微笑む隼人の腕は体の脇に真っ直ぐに降ろされたまま、少し震える拳をきつく握りしめていた。



 本当はあの時彼女を抱き締めたかったのだと遅蒔きながら隼人が気付いたのは、ガモン共和国での子供達の写真を現像したときのことだった。

 笑顔を取り戻した子供達の中心で、飾り気も何もない笑顔の野の花が、ファインダー越しの彼に向けて全開の笑顔を向けている。
 暫く出来上がった写真をじっと眺めた後、隼人はロンドンの借り物の現像スタジオの簡素な木の椅子に、ガタンと音を立てて脱力したように腰を下ろした。

「…なんだ」

 自嘲にも似た微笑みが口の端に浮かび上がる。

「なんだ、俺、惚れてんじゃん」

 呆れたような呟きは日本語だったため、後ろで一緒に作業を行っていた知り合いがなんだ、と聞いてきたが、隼人は何でもないよと手を振った。


◇◆◇◆◇◆◇◆



5:『スカーフェイス』



『滝さん、折角気を使ってくれたけど、私、失敗しちゃった』

 電話の向こうの沈んだ声に、滝は溜息をつきたくなった。
 一文字のドあほうの所為で、こっちまで火の粉が降りかかりやがると腹の中で毒突きながらがりがり頭を掻いて言う。
「真美さん、あのな、一文字はほら、上にドとか超の付く鈍くささだから」
 フォローにもならないフォローをする滝に、電話口の向こうで真美が小さく笑う。
『いいの、私だけのヒーローになって、なんておこがましいことを思っている訳じゃないし、でも』

 そこで一度沈黙が降りる。滝が携帯を握ったままで次の言葉を待っていると、真美が溜息のような言葉を紡いだ。

『でも、滝さんの言ってくれた心のドクターにはなりたかったかな、隼人さんの』

 あ、でも、それこそが思い上がりだったのかも。マフラーなんか貸して貰ったから、錯覚しちゃっていたのかしら、私。
 とつとつと言葉を紡ぎ、込み上げる物を堪え続けているような真美に、滝が眉間に皺を寄せて溜息をつく。

「あー、…なんだ、真美さん、悪ィが、もういっぺんだけ一文字にチャンスをやっちゃくれないか」
 恐る恐る聞いた台詞には、しかし意外そうな言葉が返された。
『チャンスって、滝さん、それは私が聞く事じゃない?』
 その返事に、一縷の希望を抱いてがばっと滝が身を乗り出す。

「ってことは、まだあのバカ文字を見捨ててないってことか?」

 また暫く、電話の向こうが沈黙した。急かし過ぎたかと滝がひやりとするより前に、真美が再び口を開く。

『見捨てるも、見捨てないも。隼人さんは今までもこれからも、私の、たった一人の……』







 それじゃあまたメールでもするわな、達者でと滝が締め括って電話を切る。
 携帯電話を折り畳む甲高い音をさせながら、そのまま横目で、ソファの上に捕獲されている男を睨んだ。

「以上だ、聞こえたか、そこの地獄耳の朴念仁」
「…ルセェ」

 滝の指令によって逃げ腰の隼人をソファの上に抑え付けていた本郷が、離していいぞと言われてそこで漸く手を離す。
 室内でも手離さない帽子を一層目深に被り、隼人はもごもごと何か呟いた。
 流石にここまで来て往生際悪く真美のことなど何とも思っていないなど、余人ならともかくこの気心の知れた親友二人に取り繕う気はない。聞き取ったらしい本郷が呆れたようにその顔を覗き込む。

「俺は隼人はどこかに心を沈めたからといって、余所まで見えなくなるような男じゃないと思うが」
「だー、ルセェ、これは俺の男としてのけじめの問題なの!」
 その言葉に本郷が眉を顰め、低い声で隼人に問いかけた。
「だったら、正義の味方は、改造人間は恋愛をするべきではないと?」
 隼人が首を振った。
「違う、俺が!俺の問題なんだよ、これは」
「まぁ、お前の問題だな」
 そこに携帯をポケットにしまった滝も近付いてくる。
 その後で、ごきごきと肩を慣らし、おもむろに隼人の鳩尾を殴りつけた。勿論、隼人はその程度ではビクともしないが、衝撃は来た。
「…っ、なにっ、しやが」
 滝がどこかぎらついた目で珍しく隼人を睨み付けた。
「確かにテメェ一人の問題だよ、けどな、惚れた腫れたにゃ相手が存在するんだよ!一文字、お前真美さんにあそこまで言われて、そこで自分の信念を貫き通すのはお前の勝手だけれども、だったら俺はそれが気に食わねぇ。だから殴る!これは俺の勝手だ!」
「む、無茶苦茶だぞ滝!」
「ウルセェ、本郷、お前からもなんか言ってやれよ!」

 滝に吼えつかれ、お鉢の回ってきた本郷は暫く何か考えていたようだったが、やがてそうだなぁと徐に口を開く。

「隼人を改造人間にしてしまったのは、間接的には俺の責任でもある」
 その言葉に、弾かれたように隼人が顔を上げた。焦ったように普段は物静かな男の表情を伺う。
「…ほんご、ちが」
 しかし、本郷の続きの台詞は隼人の想像とは少し違った。
「だから、隼人が俺と一緒に悪の組織と戦うと言ってくれた時は、心底嬉しかった」
 そう続けられ、隼人だけでなく一緒にいた滝も言葉に詰まる。その親友達の前で本郷は静かに続ける。

「俺は、だから、隼人には、勿論滝にも、後輩達にも。正義の味方だとしても、この世の誰にも負けないくらい、自分を犠牲になど思うことの無いように、幸せになって欲しいと思っている。例え、辛いと思うことの方が多い生き方でも、俺自身のただのエゴでしかないとしても、俺は毎日それを祈るよ」

 言いながら、ふんわりと微笑んで俯いた隼人の頭をぽんぽん、と叩く。

「…隼人の幸せを願っているよ」

 ふん、と隼人が僅かに耳を赤くして小さく鼻を鳴らした。
「そんなもの、俺だって同じさ。テメェ幸せにならなきゃ許さないぞ本郷」
 その言葉に、心外だぞ隼人、と本郷が笑う。
「俺は幸せさ。この世で最も不幸かもしれないと思ったときに、一人じゃないと思い知らせてくれた親友が二人も居るからな」
 にっこり微笑んで続いた台詞に、連鎖反応で真っ赤になった滝がぼすっと今度は本郷の肩を殴った。
「バカ本郷、そういうことはもうちょっと照れて言え!」
「何故?」
 きょとんとしている本郷をこいつは駄目だ、ド天然だからな、頭のいいヤツはこれだからと諦めたように決めつけながら滝が隼人を振り返る。

「って訳で、隼人、お前俺と本郷の幸せのために自分の幸福を追求する気はねぇか?」

 その台詞に、隼人ははぁ、と深い溜息をついた。少しばかり拗ねた口調は最後の抵抗だ。

「ズリィ。俺のポリシーをなんだと思ってンだよ」
「そりゃ」

 明らかに変化した隼人の気分を素早く感じ取り、滝が戯けてみせる。

「真美さんの幸せに比べりゃちっぽけなもん、さ」

 言っておくがテメェの幸せじゃねえぞ、と太い釘まで刺され、隼人は苦笑して立ち上がる。

「真美さんの出立は明日、だったな。……滝」
「おうよ」
「俺、今からちょっと行ってくるわ」

 短く言って立ち上がる隼人に、滝と本郷がそれぞれ今夜は帰らなくても良いぞと異口同音に言い、隼人は二人に向かってパンチをそれぞれ一発ずつ贈ってから部屋を出ることになった。







 真美の携帯電話が全く知らない番号からの着信を告げて鳴る。

 不思議に思ったが、基本的に知り合いにしか教えていない上に、一応国際契約している癖に通話できる状態にあることも希な電話であるから、暫し躊躇った後に通話開始ボタンを押した。もしかしたら、番号を変えた知り合いもいるかもしれない。

「もしもし」
『もしもし?真美さん?俺』
 真美は携帯電話を危うく取り落としそうになった。
「はっ、やと、さん?!」
『そう、これ、俺の携帯ね』
「隼人さん、…携帯電話なんて持っていたの?」
『本当は、ね』
 思いがけない人間の声に、真美の声も震えた。隼人は彼女の動揺になど頓着しない様子で、淡々と続ける。
『話があるんだ。ちょっと出てこないか』
「出て、ってどこに」
『窓の外、見て』
 言われて真美が自室のカーテンを引くと、窓の外にバイクに跨った隼人の姿が見えた。月明かりで姿を確認すると、向こうも真美を見つけたのか軽く手を振る。
「どうして…」
『アドレスは滝に聞いた』
 言うと、もう一度繰り返す。

『な、出てきてくれないか』
「………」

 真美は月光の下に佇む男の姿を見ながら、開けたカーテンをぎゅっと握った。勿論、隼人の誘いに逆らう事など、できよう筈がなかった。







「一体どうしたの?」

 家を出て隼人の元に行くと、隼人は笑いながら彼女にバイクの後ろに乗るように促す。
 ヘルメットを投げて寄越された真美が迷いながら隼人の背に捕まると、すぐにバイクは低いエンジン音をあげて走り出した。
「ねぇ、ちょっと、隼人さんー?」
「心配しないで、すぐに着くから」
「どこにー?」
「着いてのお楽しみ!」
 どんな小さな音でも聞き取れる特別製の隼人の耳と違って、真美の聴覚ではエンジンの轟音と風の音の下では、会話をすることも難しい。
 小さく溜息をつくと、隼人の思ったより広い背中に体を預ける。明日ガモン共和国に戻っても、この背中の温かさは忘れないようにしようとこっそり胸の中で思いながら。



 隼人が真美を連れてきたのは、大きく月の見える海辺の小高い丘だった。
 殆ど草も生えていないような岩だらけのその場所に、意表を突かれて真美が息を呑む。

「ここは、俺の取って置きの場所だよ」
 誰かを連れてきたのは初めてだ、と微笑みながら言われて、普段の隼人からは似つかわしくない様な荒涼とした風景に真美が狼狽えたような視線を巡らせる。
 けれども、寂れ果てた、どこか淡々としたその光景はある意味温かさに怯える隼人の心の嘆きのような気もして、黙って視線を戻した。

「どう、して?」
 隼人の答えは簡潔だった。
「ここを見て、真美さんがどう感じるかを知りたかった」
 真美は唐突に、自分が隼人に試されているのだということを理解した。
「ここは、寒いわ。そして、とても寂しい」
「言うとおりだよ、ここはとても寒くて荒れ果てている、でも、俺の愛する場所を思い出させるんだ。…丁度こんな土地だった」
「え」
 苦笑混じりの隼人の言葉に、真美が振り返る。隼人は静かに言葉を紡いだ。

「北の果ての、不毛な土地なんだ。それでも、人間はこんな場所でも生きて居るんだと、生きていけるんだと俺に教えてくれた大切な場所だ。ここは、いつでも俺に勇気をくれる」

 隼人の瞳は、いつしか遙か彼方の海の向こう、白い崖の大地をを見ているような遠い物になっていた。


―――本当は臆病で、こんなに枯れ果てたものを心の中に飼っている、それでも?


 そんな声が聞こえた気がして、ぎゅっと唇を噛む。荒れ果てた心には、幾つも出会ってきた。ガモン共和国に残してきた、戦災孤児のあの子達もそうだった。
 けれども、真美は同時に知ってもいた。こちらがなにをしても、どんなに救いたくても。その心を潤し、花を咲かせることができるのは、特別な人だけ。

 子供達の前には、神も仏も居なかったけれど仮面ライダーが現れた。
 けれど、隼人の前にはまだ、誰も現れてはいないのだろうか。本郷は、滝ではないのだろうか。

 男に問いかける声も自覚できるほど震えている。
「草は、生えないの?…花は、咲かないの?」
 隼人の返答はない。それこそが彼の領域に入る者を拒む全ての解答のようにも感じられて、真美は落胆した。
 今の真美にはとても残酷な試験のように感じられたが、今更、と決心して顔を上げる。
 思った通り、隼人はとても静謐な微笑みを浮かべて彼女を見ていた。その笑顔を見ても淋しいとしか思えない自分に苦い思いを抱きながら、真美は手を伸ばして隼人の顔に触れる。

「なにに怒ってるの、隼人さん」

 突然聞かれた台詞に、隼人が驚いて彼女を見下ろす。
「いいや、なんで?」
「だって、傷…」
 言いながら真美が彼の顔にそっと指を伸ばしてきた。ぴくりと反応するのに構わず、頬の辺りを緩やかに指でなぞる。
 そこに改造手術の跡の傷が浮いているのだと、漸く理解した隼人が苦笑した。
 隼人の感情が昂ぶって、主には怒りに捕らわれているときに浮かび上がる改造の時の古い傷。

 理由は一つしか思い当たらない。

「怒ってなんか、いない」
「嘘。私、踏み込み過ぎた?」
 できるだけ穏やかに言ったのだが、真美には一言で否定された。悲しそうな、不安げな彼女を宥めようと本当だよ、と繰り返す。
「踏み込んで欲しいと思ったから、連れてきたんだ」
 しかし、真美は小さく笑って首を振る。
「隼人さん、良いのよ、気を使ってくれなくても。私は本当に、もうあなたを特別視したりしないから」
「違う、逆だよ」
「え?」
「特別視して欲しい、っていうか…」
「……っ」
 思いがけない言葉に声を詰まらせる真美から照れたように視線を外し、隼人が口調を変えた。

「野の花は、野にあるときが一番綺麗だ」
「…隼人さん?」
「俺の胸の中に咲けるのは、華やかでも、甘い匂いさえしなくてもいい。どんな荒野にでも負けないような、小さくても根を張って強く咲いている、そんな」
 比喩めいたことを呟きながら、隼人が腕を伸ばして彼女の上腕を捉え、自分の方を向かせる。
 彼女の視線が傷跡を浮かべたままであろう自分の顔に注がれるのを受け止めながら、隼人はぽつりと呟いた。

「この、感情は」
「…え?」
「いとおしさ、っていうのは激情に似てる」

 やっと言われていることを理解した真美が大きく瞳を見開いて、その後で顔を真っ赤に染めた。

「…ばか、なにを言い出すの、急に」
「バカは酷くないか」
 折角カッコヨク決めたつもりだったのに、と隼人ががっくりと肩を落とす。
「…ま、いいけどよ」
 そう呟くと、捉えたままの真美の上腕を自分の方に引き寄せた。

 顔に月光を遮って掛かる影を知覚して、真美が黙ったまま瞳を閉じていった。
 ゆっくりと男の上体が傾いてきて、少し低めの体温が唇に触れるのを、不思議な気持ちで受け止める。
 暫くしてから顔を離した隼人がそのまま耳元で囁いた。

「君だけのヒーローに任命してくれるって話は、まだ有効?」

 見捨てられていないかい、と問われて真美はバカね、と泣き出しそうな笑顔でもう一度軽く言う。

「言ったでしょう?見捨てるも、見捨てないも、隼人さんは今までもこれからも、私の、たった一人の永遠のヒーローよ、って。滝さんから聞かなかった?」
「いや、携帯の向こうで聞いていたけど、どうせなら直接聞きたかった」
 にっこり笑ってしれっと言い放つ隼人に、真美の顔が一瞬にして赤く染まる。
「ちょ、…聞いてたの?!」
「うわ、殴るなよ!滝が聞いてろって言ったんだぞ!本郷に無理矢理抑え付けられてさ!」
 照れ隠しのような真美の拳をかいくぐり、隼人が弁明の言葉を口にした。
「もう、信じられない!」
 呆れたように憤慨したように言いながら、それでも隼人の胸元を何度か小突くだけでその勢いも無くしたように、真美が腕を降ろした。

「真美さん?」
「…これからは」
 どうしたんだと顔を覗き込んでくる隼人に、ぽつりと真美が呟く。
「ん?」
「これからは、あまり人前でその傷を見せないでね」
「真美、さん?」
 不審そうな顔の隼人の方は見ないまま、真美が続ける。
「その顔、見ていると…その、今日の隼人さんを思いだしそうで…」
 呟きながら上気する顔と反比例して消え入りそうになっていく声に、隼人がにぃっと笑う。
「あ、そそられちゃう?」
「調子に乗らないでっ!!」
「痛っ!」
 赤い顔の彼女にぎゅむっと頬を抓り上げられ、さっきからちょっと正義の味方でコイビトに対する扱いにしては酷くない?と隼人がぼやく。

「もう!」
 怒ったように、それでもコイビト、という言葉に照れたのかふん、と顔を背けた彼女の首元に、次の瞬間ふわりと温かいものが巻かれた。
 一瞬遅れてそれが何かを理解した真美が、驚いた表情で隼人を見上げる。
「隼人さん、これ」
「そう、驚かなくてもいいだろう。カエサルの物はカエサルに、ってね」

 真美に返品された赤いマフラーをもう一度彼女の首元に結びながら、真摯な瞳で彼女の顔を覗き込みつつ、隼人があの時と同じ事を口にする。

「受け取ってくれるだろう?俺は、帰ってくるから。いつでもここに、迷わずに」

 最後に以前と同じように、ぽんと結び目を優しく叩いて。
 闇の中、白い首元に浮かび上がる深紅のマフラーは、くっきりと鮮やかな目印か絆であるかにも思えて、隼人が溜息をつく。

「これが、約束だ」



 囁くと、今度はあの時に出来なかった事を果たすように腕を伸ばして真美の体を胸の中に引き寄せて抱き締めると、花が咲いたように微笑んだのだった。







**********

+++END.

 

 

完結しました。「仮面ライダーでカップリングなんて!」と言う方、ごめんなさい(笑)
一文字さんと滝さんが大好きなのが思いっきり全面にでてますねぇ。
元の本編の方は見たこと無いので、ホントにコミックスだけで書いたお話ですが。
本当は真美先生が飾ってる写真はポラじゃないですけど、まぁそこはそれ(ごにょごにょ)
後で登場したときも隼人さんのマフラー外してない彼女に萌え(笑)
飄々としていて、明るくて、でも不器用そうな一文字さん(夢です)が果てしなく素敵です。
ええ、例え登場の時には薔薇の花をくわえていても!(笑)
長々とお付き合いありがとうございましたv

 

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