『Delicacy』

「先生、まだ仕事は残ってるんですよ?!」

 後ろで今日も真面目な神田支部長の悲鳴に近い声がするが。

―――そんなん、俺の知ったことか。

 だって今日は一ヶ月ぶりに彼の心の殿堂に住まう天使に会える日で。

―――大体、なんで未だに俺の『片思い』なんや・・・

 片思い。・・・寒い。なんて寒い言葉だろう。思春期の少女じゃあるまいし、

 道行く女性がことごとく振り返るマスメディアで大人気の天下御免の超絶美形の霊感少年が、

 なんてことない普通の少女に『カタオモイ』・・・

 

 それでも今日も愚痴りながら彼女とのプラトニックデートに(今日は美術館に行く予定だ)出かけてゆく青年の姿は、見る人が見れば求道者のように見えるかも知れない。

 

 

「すまん。遅れた。」

 待ち合わせ場所は、アップルパイが評判のカフェで、青年が甘いものを好まないことを知っている彼女は既に勝手にケーキを注文して手を着けていた。

「ううん、そんなに待ってたわけじゃないよ。・・・仕事、大変そうだね。」

「ああ、まぁ、ぼちぼちやな・・・景気もようないし。株の方の儲けもあんまないしな。」

「・・・テルちゃん、おっさんみたいだね。」

「・・・・・・。」

 確かに。18やそこらでビジネスの話を会話の頭に持ってくるのはおっさん臭いかも知れない。他の女性の前ではでっかい猫をかぶっているので流麗な言葉の一つや二つや三つぽんぽん出てくるのだが、ことこの少女の前では随分勝手が違った。

 完全に地が出てくるのである。取り繕う必要がないので気は楽だが、まだ恋愛も始まっていないのにいきなり倦怠期の夫婦のような会話に突入してしまうのも、少々もの悲しい。

―――キスもロクにしたこと無いのに、「あれとって」「ハイ」で通じるちゅーんはどーゆーこっちゃ。

 しかし。今更1からやり直すには、出会ってからの歳月はあまりに大きすぎる。

 お互いのことは、殆ど理解し合ってしまっているし。

―――あと、たらんのは甘いムードだけなんやけど、な。

 それが一番の問題であった。こと、彼の思い人に関しては特に。

「お前なぁ、18の若者おっさん呼ばわりすんなや。」

「だってテルちゃん、会っててもいーっつも仕事の話ばっかりなんだもん。」

・・・・・・絶句。

「そ・・・そうか?」

「そーだよー。景気が良くないとかー、依頼人がむかつくとかー。」

・・・思い出す。確かに、そうかも知れない。彼は自分の無趣味さを今更のように呪った。

―――せやって、趣味が仕事と金儲けなんやからしょーがないやろー?

 季節さえ、多忙なワーカーホリックの青年の前では服の指針を決める要素でしかない。

「・・・わかった・・・次からもちっと考えてもの言うわ・・・」

「ん?別にいいよ。だって、テルちゃんが愚痴こぼせるのって私の前ぐらいじゃない。」

 結構凄いことを、さらっと言ってのける少女。

「そのくらいは、わかってるつもりだけど?」

「・・・お―――・・・」

 勝手が違う。他の女とは、勝手が違う。ペースが完全に乱されて、立ち直ることが出来ない。

―――待てよ!落ち着けや、俺!!何の気無しに言うとるんや麦子は!!他意なんかあれへんのんや!!!

でも。何となく気持ちが高揚して、言葉が続かない。

「・・・すまんな・・・いっつも・・・」

―――あーもう、何言うてんのんや、俺は。何でこっから発展でけへんのんかなぁ・・・

「気にしない気にしない。お互い様だよー。私だって、テルちゃんに助けられてることいっぱいあるし。」

―――あかん。コイツが、こんなに、素直やと・・・

 内心、「今日こそは!」と気負ってきていただけに、予想外の彼女の反応に戸惑うばかりで。

 恋に不慣れな少年のように、体温が上がるのを知覚する。

―――この、俺としたことが。

「だからね、私は・・・」

―――どきん。

『期待すんな!そんな虫のええ話があるか!!』

ああ、でも。わかっていても。目の前の天使の微笑みは、彼にそのまま愛を囁きそうなくらい優しい。

「私は、テルちゃんのこと、大事に思ってるよ・・・」

「麦子・・・」

 ひたむきに見つめる、吸い込まれそうな黒い瞳。

 俺の時代が来た!!と、場所も何もわきまえず彼女を抱き寄せようとして。

 ・・・・・・気づいた。

 

 潤んだ瞳のその焦点は、彼の顔では結ばれていなかった。

「・・・?何処見てんのんや・・・?」

「お母さんから、くれぐれも頼むって言われてるんだもの。テルちゃんのこと。」

 そう言う彼女の視線は、彼青年の背後、彼からは死角になる位置に注がれている。

「・・・ってオイ!!」

「おかあさん、テルちゃんに、あんまり体に悪いことばっかりするなって言ってるよ?」

―――あああ、もしかして、この間の女のことがバレたんは。

 霊感少女に守護霊とタッグを組まれたら、悪いことなどできよう筈もない。

「・・・お前ら俺を監視しとったんかい!」

「監視って人聞き悪ーい!お母さんはテルちゃんのことが心配で・・・」

「していらんわっ!!!」

おかん・・・どうせ心配すんのなら目の前のこのオンナとのことを心配してくれ。・・・

 

「お客様、他の方々のご迷惑になりますので・・・」

 ウエイトレスが飛んでくる。そりゃそうだろう。片方はあらぬ方を見て話しかけているし、もう片方は叫び出すし。

「・・・っ、出るぞ!!」

 レシートをひっつかんで叩き付けるように勘定を済ませ、青年が少女を強引に店外に引っぱり出す。

「あーーー!まだ残ってたのに〜アップルパイ〜!!」

「パイと俺とどっちが大事や!!」

「うーーーん・・・パイ?」

 がっくりと首をうなだれる青年。

「なんちゅーデリカシーのないこと言うねんお前は・・・」

 せっかくのデートなのに。嘘でも自分と言って欲しかった・・・

「もおええわ・・・」

 今日の所は、完全に敗北を悟って、青年が体を返して歩き出す。

「・・・おーい?」

「・・・」

「もしかして、拗ねちゃった?」

「・・・」

「もー・・・」

ふわり。青年の片腕に、彼女がぶら下がるように腕を絡める。

ぼそっと、青年が仏頂面のまま呟いた。

「・・・俺はまだ怒ってんのやぞ。」

「はいはい。」

「聞いとんのんか」

「もちろん。」

「・・・ったく。ほら、さっさと行くで!美術館閉まってまうわ!」

「はーーーい。」

 

 腕を組んで歩き出す、青年と少女。なんのかんの言っても、やっぱり彼は彼女には頭が上がらないのだった。

 ところで。

 隣で天使のような微笑みを浮かべる彼女が、『デリカシーがないのはお互い様よねー。』と思っているのを、青年は未だ知らない。(知らない方が、幸せかもしれない。)

 

>>THE END

 

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