『きりたんぽ慕情(仮)』

哀愁の年の瀬



 その朝も、よく晴れていた。

 出勤前の慌ただしいひととき、前日の残りの冷や飯に熱い茶をぶっかけてかき込みながら、
 私は昨日のことを、不躾にいきなり携帯にかかってきた一本の電話のことを考えていた。

―――室井さん、非番の日も資料分析のなんのって、ちっとも約束、果たしてくれないじゃないですか。

 同じ警察署の恩田刑事に、某高級ホテルのニューヨークなんたらいう高い店で飯を奢らされ、
 オケラなのだと「彼」は泣きついてきた。

―――今度こそ、食わしてください、きりたんぽ。

 だからといって、こんな年始めの忙しい時期に連絡してこなくたって…。

 そうは思いながらも渋々承知せざるを得なかったのは、
 つい先日、彼が独自に作成した犯罪者のデータベースを使わせてもらった借りがあるからだ。
…いや。「彼」には大きな借りが幾つもある。

 きっと、一生をかけなければ返せないと思う。
 だからこそ、たまの休みも事件の資料整理などに使っている。
 警視庁の、いや警察組織全体の構造を変革するため。
 一人一人が己の中の「正義」を信じて捜査を出来るように。
 そう、変えればいいか。どうやって変えるか。
 今までも、できる限りのことはしたつもりだし、様々なプランさえ今の私の頭の中には存在する。

 絶対的に今足りないのは権力だが。

 私は会議室に。
 彼は現場に。

―――あんたは、上にいろ。

 それが、彼と交わした「約束」。だが、縦割り構造を取り除くことと馴れ合いは違う。
 警察庁も警視庁も、上に行けば行くほど、「下」のサポートのみに徹するべきだ。そう思う。
 「上」の人間がすることは、「下」に出来ないことだけでいいはずだ。
 「上」に行く。遥かな高みすら目指して。頂点に登り詰めて。現場の人間の、
「彼」のような警察官達の期待に、願いに応えるために。

―――なのに、なんできりたんぽなんて…。作ってるんだ?

 少々過労気味なので、本来なら目くじらを立てるほどでもないことなのに、神経に障る。
 今年の冬も寒くなる。
…生まれ故郷を思えばそう大した寒さでは無いはずだが、私はコートを着て。

 「戦場」へと、出勤した。

◇◆◇◆◇◆◇◆


「あれ?」

 時計が動いていない。壊れたんだろうか。
 アラーム付きの安物の目覚まし時計は、日頃の雑な扱いに耐えかねたのか、
 ものの見事にストライキを起こし、午前五時二十六分を指して止まっていた。

―――今、何時だ?

 ヤバイ。直感的にそう察して、俺は布団から跳ね起きた。
 顔を洗うのもそこそこに、夕べ万年床の脇に脱ぎ捨てたままのネクタイとコートを掴んで外に飛び出す。

 朝飯、喰う暇無かったな。
 署に着くまでのコンビニで何か買って、こっそり勤務時間に喰おう。
 愛用のレミントンの腕時計は午前八時半。どうせ間に合わない。
 俺が住んでいるのは、湾岸署の独身寮…の筈なのだが。
 本来なら署の敷地内にあるはずの「それ」は、経費とか予算の関係とかで、
 何故かお台場大縦断の場所に作られている。

―――そりゃあまぁ、遊びに行ったりはし易いけどさ。

 朝、とくに冬の朝は辛い。
 前に居た杉並北署では、署まで徒歩二分ほどの場所に寮があったので、特にそう思うのかもしれない。
 俺がなんとかやっていけているのは、営業マン時代の辛い満員電車通勤の経験がある所為だ。

 まぁ、でも、今日が終われば。
 今晩には、暖かい手料理のきりたんぽにありつける筈なのだ。
…男の手料理ってのが、ちょっと頂けないが、
 この際家庭料理に飢えている身としては、多少のことには目を瞑ろう、うん。

 室井警視正。

 キャリア組のバリバリのエリート官僚で、今は警備部、つまり花形ポジションのかなり上の場所にいる。
 あ、警備部ってのは、警察の中じゃ表には出ないけどその、つまり出世間違いないですよ、っていう部署だ。
 俺とは、色んな事件を通しての腐れ縁だ。ぶつかったこともあれば、一緒に無茶をしたこともある。

 けれど、俺にとってあの人はいわば「希望」で。
 俺が、俺みたいなヤツが、「正しい」ことが出来るように。
 信じたとおりに、信念に背くことなく仕事が出来るように。
 黙って、上への階段を登り続けて行ってくれる。平坦な道でも、楽なことでも無いだろうに。
 「もうこれでいい」と満足することなく、あくまで一歩ずつ、歯を食いしばって、眉間に皺寄せて。

 あの人の下でなら、命をはれる。
 本当に、そう思う。

 コンビニで買ったカロリーなんたらいうお手軽栄養食品を缶コーヒーで流し込みながら、俺は駅へと走り出した。

 また、変わらない一日が始まる。
 変わらないように見えて、本当は少しずつ違っている、今日が。

◇◆◇◆◇◆◇◆


 一日の公務が終わり、ほっとする一時。肩をトントン、と拳骨で叩きながら立ち上がった。
 残業をさせられては適わないので、デスクの上に積み上がっている未決の案件には敢えて目を瞑る。
 一枚でも手に取ったら最後だ。
 気がつくと午前様のお決まりコースに違いないのだから。

 ハンガーからコートを外す。
 何を買って帰れば良かったか。

 鍋にするきりたんぽと、ある程度の野菜は常備してある。
 日本酒だろうな、と思いながら本庁をでた。

 年始は、忙しかった。それこそ息をつく暇もなかった。
 なにせ、年明けには警備部の一年で一番大きな仕事だともいえる明治神宮の警備、皇居の警備などが目白押しで。
 後始末だけでも、うんざりするほどのデスクワークをこなす必要があった。

 さて、帰るか。

 本庁を出て、自宅近くの駅で降りた私の足は、真っ直ぐ近所の量販店へと向かった。
 そこで日本酒のワンカップと白菜を籠に入れ、後は何が必要だろうと首を傾げた。

 そのとき。

「いやあああっっ!!」
 レジの方で、悲鳴が上がった。さっと振り向くと、
 ナイフを持った男がレジの店員に刃を突きつけている。

"Don't, Move!!"

…アメリカか、ここは。
 どうやら、金に困った外国人の強盗のようだ。
 しかし、困ったことに今の私は非番中だから警察手帳も持っていないし、犯人逮捕の権限もない。

 ため息とともに、使い慣れた国産メーカーの携帯電話を取り出す。
 そういえば、これを見るたびに青島がカメラをつけろとうるさかったっけ…。
 使い勝手がいいから、気に入っているのだが。
 もう生産中止だと聞いたから五台まとめて購入し、
 スペアに置いてある。(青島には馬鹿にされたが。)

 視線では犯人を捕らえたまま、指が暗記した短縮ダイアルを押す。
 相手はワンコールで出た。

「室井だ。」

 前置きもなく、いきなり名乗った。


―――十五分後、駆けつけた所轄の警官によって男は難なく取り押さえられる。

 すっかり時間をとってしまった、と私は手近な野菜や菓子などを手当たり次第に籠に放り込んで勘定を済ませ、店を出た。

 しかし、これはまだこの夜の出来事の、ほんの序の口に過ぎなかった。

◇◆◇◆◇◆◇◆


 今日はとにかく、雑多な仕事が多かった。
 痴話喧嘩の仲裁、電話ボックスを壊して回ったヤツ、酒が入った上での乱闘騒ぎ。
 真下なんか川にたたき落とされそうになってたっけ。
 しかも、その上にスリグループを摘発した盗犯係に、強行犯係まで全員駆り出され、
(なんでこーゆーときにこんな大挙して捕まえるかなぁ、もう!)…。

 とにかく、終業間際にはもうぐったりしてしまっていた。

「おつかれー。」

 すみれさんが、コーヒーを入れてきてくれた。
「お手伝い、感謝してる。」
 紙コップを受け取りながら力無く手を振る。
「どうも。」
 すみれさんが自分の分のコーヒーに口を付けながら、小さな声で囁いてくる。
「今日、これから空いてる?」
「お金ないよ。」
「ちーがーう。今日は、私のおごり。…っていっても、おいしい居酒屋さんだけど。」

 うっそ、すみれさんがおごってくれるなんて、
 明日は雹か雪でも降るんじゃないの?!とは思ったけれど。
 こんな珍しいむちゃくちゃおいしいお誘いに、涙を飲んで手を合わす。

「…ごめん、おれ、室井さんと約束があるんだよね。」
 すみれさんが目を丸くする。
 そのままおもむろに眉間に人差し指を立て、
「……コレと?」
 と、言った。
 おいおい、すみれさん…仮にも警視正に向かってそれはないだろう。
 そういえば、室井さんとすみれさんも結構波長が近いらしく、よく軽口を叩き合っている。
 いや、どっちかといえば真面目な室井さんにすみれさんが一方的に言うだけなんだけど。

「そっか、振られちゃったな。真下君でも誘おうかなぁ。」
「すみれさん、奢らせる気でしょ?」
 顔を上げて問いかけた俺に、すみれさんはにっこりと微笑んで、
「当然。」
 と、言ってのけた。

…がんばれよ、真下。

 なぜかあのトボけた後輩にエールを送りたくなり、俺は心の中でそう呟いた。




続(予定は未定)


MOVIE2の決定お祝いにと当時の日記に書き殴った駄文。
この後色々事件とかなんとか考えていたんですが、
すっかり忘れてますね(笑)



 

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