“FACE”

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 イタリアの夜は、湿度が高い。

 和也の日焼けした肌には玉状の汗が噴き出している。筋肉のついた体はよく引き締まっていて、以外としなやかに動く。シーツからはみ出した腕や足は、まるで彫刻のように計算され尽くした造形を持っている。

---まるで、綺麗な獣のようだ。

 ぼんやりと愛子は思う。蒸し暑さに耐えきれず、ダブルベッドのはじまで転がってきたのだが、思いがけず和也の肉体を鑑賞する機会にも恵まれた。

 これって役得よね、と彼女は思う。サッカー選手の和也が人前で肌を見せることは珍しくない、というか半裸くらいならそこらのサッカー雑誌をめくればすぐにお目にかかることができる。

 しかし、全裸となると話が違う。少なくとも、女性には。

---あの、腕が。

 掌が、指が、胸が、唇が。先刻まで彼女に触れ、愛撫し、何度も快感を与え続けていた。無造作に伸ばされた髪の毛の先さえ、彼女の肌に触れると極上の絹よりも心地よい感覚を与える。彼と躰を合わせる者だけに与えられる特権。

 いつもならセックスの後は彼女を腕に抱いたまま、その日あったことをとりとめもなく話すことの多い和也だが、今日は行為の後 そのまま眠り込んでしまった。どうやら今日の試合はことのほか疲れたらしい。

 しょうがないか。ダミアン率いるインテルとのゲームだったもんね。しかもホームなのに、引き分けちゃったし・・・

 サッカーで高ぶった体を鎮めるために、和也が愛子の体を求めるのはそう珍しいことでもない。ボロ負けをした日など、帰ってくるなり物も言わずに彼女を押し倒すこともあった。そのこと自体は嫌いではなかったが、流石に、今日は止めたのだ。宿命の、とも言ってもいいライバルのダミアンとギリギリのせめぎ合いをして、PK勝負にまで持ち込んだあげく何とか引き分け、チームメイトに担がれるようにして帰ってきた本日の彼である。

 夕食だって『軽い物でいい・・・』などと死にそうな声で言っていたのに、胃の中に物を納めてシャワーを浴び、ベッドにはいると彼女の体に腕を伸ばしてきた。

「明日はACミランとアウェーで試合なんでしょう?!早く寝なきゃ。」

「・・・いいじゃん。べつに。・・・な?」

上目遣いでそう言われると、彼女は弱い。和也の方も、それを知っているから手を止めない。結局、和也が眠りについたのは午前1時を越えてからだった。

 

 月光に照らされて、和也の寝顔が浮かび上がる。睫が長い。目を開けているときはくるくるとよく動く瞳が陽気な印象を与えるのだが、元々の顔立ちはいっそ精悍で近寄りがたい。

---和也、最近ますますオジさんに似てきたな。

 愛子はふとそう思った。ここ二日くらいひげ剃りをさぼっているので生えてきた無精ひげのせいかもしれない。顔をつついてみたかったが、起こしてしまうといけないので思いとどまる。

 しばらくそうしているうちにのどの渇きを覚え、ベッドからそっと降りる。二人の暮らすアパートはさほど広い物ではなく、またチームのフィオレンティーナ側が和也に提示した年棒はこの倍の広さの部屋でも楽に借りられるくらいの額であったが、和也が海の見えるこの部屋を気に入ってしまい、ここに決めた。潮風で洗濯物が外に干せないからやめろと彼女は言ったのだが・・・

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 ワールドカップのヒーロー、高杉和也のイタリアセリエAへの移籍と幼なじみのニッポン放送のレポーター、森口愛子との結婚は日本中のマスコミを沸かせた。ほとんど海外脱出のような感じでイタリアへやってきて、やっと落ち着いたのはつい最近だ。和也は、何があっても彼女をそばから離さなかった。後でチームメイトの桜庭から聞いたことだがあまりの騒ぎにチーム上層部からしばらく会うなと言われていたらしい。しかし気にせずせっせと愛子の居る自宅に帰ってきていたし、彼女に実家に帰る必要はないと断言した。それでもあまり二人で会うことはできなかった。

 イタリアにきてからしばらくは、その反動のようにずっと二人で過ごした。一日のほとんどをベッドのなかで過ごし、何度もキスをして、セックスをして、疲れたら二人で眠った。最も、和也の新しいチームでの練習がすぐに始まったので蜜月はそう長いものではなかったがその効果はすぐに現れていた。

・・・・・・和也に、どう言おう。

 愛子は、そっと自分の下腹部をなでる。今日病院で、二ヶ月目に入ったところだと告げられた。

 体を冷やさないように温めた水を飲み、ベッドに戻る。すると、和也が目を開けていた。どうやら、手を伸ばして彼女がいないことに気づいたらしい。

「何処行ってたんだよ。」

 甘えん坊の亭主がふくれっ面で言う。愛子は苦笑する。

「お水飲んできただけよ。」

「ふーーーん。」

 和也が来い来い、と手招きするので隣に躰を滑り込ませる。きゅう、と愛子を抱きしめると、和也は安心したようにまたとろん、としてきた。愛子はふと思い立って、半分以上寝ぼけた彼の耳元にささやいた。

「和也、あなた年末には父親になるのに、もうちょっとしっかりしてね。」

 若い父親は夢うつつらしく、何事かむにゃむにゃつぶやくとまた寝てしまった。彼女は笑いながらその肩にシーツを引き上げてかぶせる。

 二人でいれば、何があっても大丈夫。

 愛子はそんな充足感とともに眠りについた。

 

 夢のなかで、和也は愛子との子供をあやしていた。それが夢でなかったことを彼は翌日知るのだが、今は露も知らず、無意識に愛子の手をまさぐった。

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>>END

 

ジリキデモドル。