END OF A CENTURY

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「なに、するんだよっ!!!」

 そう怒鳴ると、栗色の髪の少年は明らかに年長の大柄な少年に向かっていった。相手の手には、一冊の古びた本が握られている。学校の屋上には他に人もおらず、栗色の髪の少年を助ける人間は居ない。ここは彼のお気に入りの読書スポットで、栗色の髪の少年は大柄な少年に本を横合いから引ったくられるまで油断しきって本に没頭していたのだ。

「へっ、お前みたいなちびに取り返せるかよ。悪魔だ妖怪だのって、気持ち悪ぃし暗いよな!!お前。」

「うるさい、悪魔は…本当に居るんだよ!!」

「バーカ。そんなら証拠見せてみろよ。」

「そ…れはできないけど、でも僕は知って居るんだ!悪魔は本当に、」

「何だよそれ!!やっぱり埋れ木は嘘つきだな!こんなオタクの本ばっかり読んでるからだぜ!!」

「返せよ!それは、博士から貰った大切な、」

「ハカセ!何のハカセだよ。悪魔博士か?そーんな気味悪い本捨てちまった方がいいぜ?埋れ木の悪魔オタクも少しは直るかもな!!」

 そう言うと、大柄な少年は手にした本を屋上のフェンス越しに学校裏の雑木林の中へ放り込んだ。

「あああああ〜〜〜〜〜っ!!!!『ネクロノミコン』がっ!!」

「じゃあな!これでお前も少しはまともになるだろうぜ…まぁ、無理かもしんねぇけどな!!」

 そう言い捨てて、大柄な少年は屋上から姿を消した。栗色の髪の少年…埋れ木真吾はしばらく呆然としていたが、やがてのろのろと体の向きを変えた。

「拾いに行かなきゃ…」

 彼が救世主・「悪魔くん」と呼ばれ、世界を破滅の危機から救ってから、既に五年が経過していた。

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「たしか、この辺だった…んだけど。」

 東京都郊外とはいえ、この学校の裏の雑木林は以外に暗い。分け入って歩く真吾の足下も光が少なく、かなりおぼつかないものだ。

「あーあ、せっかくいい読書場だったんだけどなぁ。明日から別のところ、探さなきゃ…」

 最近では受験生である少年を心配して、家ではろくに本を読むこともできない。そもそもやる気になれば学校の勉強など何ら苦ではない真吾だが、今までなるべくいい成績を取らないように努めてきたため、ここへきて本当に高校に合格するか心配した両親が相当に口うるさく干渉するようになってきたのだ。

「高校くらい、自分で選ぶんだけど。」

 本当はもう学校になど行かないで思う存分悪魔の勉強に従事したいところであるが、それでは両親が黙ってはいるまい。なので真吾はなるべく校風が自由で干渉されない学校をじっくり見定めようとしていた。たとえどんな難関校入試であろうと、本来数カ国語を自由に操り、錬金術…科学の知識に長けており、古代の消滅した文字も簡単に読み下す真吾にはさほど難しい話ではない。……

 ため息を付きながら、真吾が下草を踏みつけた。自分がこんな状態で、本当に悪魔と人間の共存するユートピアが実現できるのだろうか。

『ユートピアってさぁ、『何処にもない』って意味なんだってよ?…そろそろ、現実的になりなよ、悪魔くん。』

 五年前は真吾の理想に共感してくれた友人達も、世界の破滅の危機の記憶が薄れるにつれ逆に真吾に忠告をするようになってきた。彼らとて、受験もあろうし自分の生活もあるだろう。しかし。

 真吾は、いつしか集団からはずれて一人、黙々と本を読む少年と化していた。

「えーと…あったあった。よかったぁ。無くしたら大変なことになるところだったよ。」

「なんで?」

「だってこれは、世の中に出回っているラグラフトが創作した偽書やコリン・ウィルソンが触れて回っているイギリスの大学教授が書いたそれらしきものの系統じゃなくて本物の魔導書……って何で君がこんなとこに居るんだよ。」

「ん?散歩ついで。」

「散歩で魔界の伯爵がこんなところに来るのかい?…ったく、見てたなら助けてくれたって良いのに…ちょっと酷いんじゃないかな!!」

 呼びかけられた相手の顔は見えない。ただ、薄暗い林の中に突如現れた漆黒の闇に、にやりと笑う口元が見えるだけ。けれど、真吾はたじろぎもしない。

「だって、本物の悪魔が姿表したりしたら、大パニックだろう?」

「そりゃ、そーだけど。君も冷たくなったよなぁ。昔は、あんな場面に遭遇したら止めても助けに来てくれたのに。」

「成長したんだよ。もちろん、殴られそうになったら割ってはいるつもりだったぜ?」

「そりゃ、どーもご親切に。いい加減顔見せろよ。メフィスト二世!」

 ゆらり、と闇が動く。現れた少年の姿は、黒いシルクハットにタキシード、裏地は燃えるように赤いマント。胸元の白い蝶ネクタイを軽く引っ張って直し、優雅に一礼する。…が、直ぐに悪戯っぽく目を輝かせた。

「よぉ。久しぶり。」

「うん、三日ぶりだねー。またラーメンたかりに来たの?」

「えらく辛辣だなぁ、おい。」

「うん、これが第一使徒かと思うと、泣けてきて…」

「おーい。」

 メフィスト二世が苦笑する。彼の救世主は相当にお冠のようだ。

「そんな不機嫌な顔、するなって。」

 ひょこひょことそばへ歩み寄って、顔をのぞき込む。あくまで仏頂面を崩そうとしない真吾の目の前でひらひらと手を振ってみせる。

「なぁ。」

 くす、っと真吾が微笑みを漏らした。

「もー、仕方が無いなぁ。メフィスト二世は。ほんっとお気楽なんだから。」

「なんだよ、そりゃ。」

 大好きな真吾のふわり、とした笑顔を見て、メフィスト二世も破顔する。この笑顔に釣られて、悪魔のくせに魂も狙わずにこの少年に使えている魔界の伯爵様としては、ご機嫌取りの一つもしようというものだ。

「そういえば、みんなはどうしてる?」

「ああ、なんか色々頑張ってるみたいだぜ。……『約束の日』も近いことだし。」

 とたんに、真吾の顔が引き締まる。

「『約束の日』、か…気を引き締めなくちゃね。」

「でもよぉ、本当にいいのかい?悪魔くん。もっと、大々的に宣伝したらどうなんだい?世界の終末が近づいてるって。」

 真吾が首を振る。

「そりゃあ、君や他の十二使徒が姿を現せば説得力はあるかもしれないけど…できれば、ことを荒立てたくないから。」

「だぁかぁらぁ、言ってやりゃいいんだよ!!世界の終わりが来るけれど、心配する事はないって!俺達がくい止めるからって!救世主だろ?悪魔くんは!!」

「救世主なんてものはね。メフィスト二世。」

 やんわりと、真吾がメフィスト二世を制する。

「表に出ない方がいいんだよ。」

「だ…」

「僕たちは、最初に決めたように気づかれないように終末をくい止めて、ゆっくり人間界にとけ込んでいくんだ。いいね?」

「けど、そんな悠長な方法じゃ。」

 人の子である君にその未来は見られないじゃないか、という言葉を辛うじて飲み込んだ。真吾が察して苦笑する。

「急激な変化は反動も大きいよ。本当に、人間と悪魔が共存できるユートピアが来るのは何百年、何千年先かなぁ。僕が作るのはきっかけだけさ。それを引き継いで、運営していくのは後の人間の仕事だよ。でも。そのために…一万年単位で、現れるんだろ?『悪魔くん』は。先代の作ったシステムの修正の為にね。」

 言いながら、ひょい、とメフィスト二世の腕に自分の腕を絡ませた。引っ張られて、メフィスト二世がよろめく。

「それに、僕にはこんなに優秀な第一使徒を筆頭とした素敵な仲間がついてるしね。それだけで、いいよ。僕は。君たちに出会って、僕は人間と悪魔が仲良くできるって言う夢を見ることができたんだからさ。」

「悪魔くん…」

「今は、まだ。僕のごく近い人間だけだけど。日本で、世界のあっちこっちで。君たちが頑張ってくれているからね。あ、ドイツ支部はどうだい?」

 のんきな主にため息を付きながらメフィスト二世が口を開く。

「『約束の日』が近いんでそれどこじゃねーけど、人狼はやっぱり人にとけ込み易いみたいだな。まだまだ、人間食わないよーに見張ってなきゃならねーけど。まぁ、元々飢えなきゃあいつらが人を襲う必要はないし。獲物としては全然魅力ないからな。」

「そ。相変わらず有能だねぇ。」

「ああ、誰かさんのぼんやりの後押しをするにゃ、これくらいじゃねーとな。」

「…引っかかるなぁ。ま、いいや。そうか。僕も、頑張らなくちゃね。」

「…そうそう、忘れてたけど博士が用があるから見えない学校の方に来てくれってさ。」

「ええっ?早く言えよ、そーゆーことはっ!!」

 踵を返して走り出そうとする真吾の腕を、メフィスト二世が引っ張った。

「メフィスト?何だよ、まだ何か……」

 振り向いて、抗議の声をあげようとした真吾の視界が暗転した。黒いタキシードの胸元に引き寄せられたと知覚したのは、半瞬後。

「……、無理、するなよ。辛いんだろう?本当は。誰にも認められなくて、成果もはっきりしねぇなんて。」

「そんな、こ…と、ない。」

「嘘つけ。俺は、知ってるよ。」

 たとえどんなに隠しても、繕っていても。心の弱音を聞き取ることは、彼には容易い。彼は、人の心の弱みにつけ込む悪魔だから。本当は、もうずっと昔から真吾の不安にも悩みにも気づいている。けれど。

「……」

「わかってるよ。俺は、やめろなんて言わねぇから。真っ直ぐ、そのまま前だけ見て、突っ走れよ。後のことは心配するな。俺が、絶対に守ってやるからよ。」

 決して、否定はしない。彼が心底惚れ込んだのは、その強さと弱さを内包した、真吾の魂そのものだから。悪魔にとても近い場所にいながら、特別な力など何一つ持っていない。魔力使えない、空も飛べない。その心の強さ以外、何も持ち得ない卑小な存在。あくまでも人であるからこそ、真吾は『悪魔くん』なのだ。

「メフィスト二世……」

「でも!。」

 ふい、と腕の力が緩んだので、真吾はそこから抜け出し、メフィスト二世と向き合った。

「でも…?」

「イヤになったら、いつでも言え。俺が、お前に。」

 眷属としての永遠の命を与えるから、一緒に見届けよう。

 正面を切ってそう言われ、真吾が笑った。

「プロポーズみたいだね。」

「阿呆!俺がせっかく真剣に……」

「うん、ありがとう。でも、僕は救世主である限り、人間を辞めるわけにはいかないから。」

 だから、君に報いることは何もできないけど。

「僕が死んだら、僕の魂は全て、君のものだよ。メフィスト二世。」

 ふわりと。本当に優しく微笑まれて、メフィスト二世は絶句した。

「さて、寄り道してる場合じゃないな。見えない学校に行かなくちゃね。入り口はいつものところからでいいのかなぁ?」

「あ、ああ……」

「君は僕んちに行くといいよ。かあさんがラーメン作ってくれると思うよ?……とうさんの締め切り、昨日終わってほっとしてるとこだから。」

「ああ。」

「じゃあ、また、後でね。メフィスト二世。」

 そう言い置いてたたた、と小走りに駆け去る真吾の後ろ姿を見送りながら、メフィスト二世は低く呟いた。

「『僕が死んだら、僕の魂は全て、君のものだよ。メフィスト二世。』…か。自分の方がよっぽどプロポーズじみてるじゃないか。」

 これからも、自分は全てを掛けてあの少年を守るだろう。

 彼の、「悪魔くん」を。

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End of 20th Century.

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ホモじゃない、違うんだ、と言い張って何人に信じて貰えるか不安です(爆)

 

 

 

 

(だってここには満足できない人へのボーイズラヴED)

『あの人は、どうせ死ぬのだ。ほかの人の手で、下役たちに引き渡すよりは、私が、それを為そう……誰がこの私のひたむきの愛の行為を、正当に理解してくれることか。』 (太宰治『駆け込み訴え』)

「この世紀末の危機が終われば、もう君の仕事はほとんど終わったも同然じゃないか。」

 だったら。そう、遠くはないうちに。自分は彼を裏切るかもしれない。

『僕が死んだら、僕の魂は全て、君のものだよ。メフィスト二世。』

「俺は欲深いから、魂だけじゃ満足できないんだよ、悪魔くん。」

 黒衣の悪魔は、呟きながら己の体を抱いた。

 救世主などいらない。自分は所詮悪魔なのだ。欲望を堪えることなど、できはしない存在なのだから。

 欲しいのは、ただ一つ。

 彼の存在そのもの。

_____DeadEnd