「CAN'T HELP FALLING IN LOVE」

 



 日本国外のとあるホテルの一室。
 一人のずば抜けた長身の青年がノックに答える声の後部屋に入ると、
 ショートとセミロングの中間の髪型をした、とびきりの美人だが、
 少々目に生気が宿りすぎている少女が部屋に備え付けのソファーの上で何か考え事をしていた。

 少女は彼の従姉妹で当歳とって18,
 先ほど「今までの人生で二番目」に彼女の人生を左右するような出来事に出会ったばかりであった。
 ちなみに、一番目は「素敵な旦那様にプロポーズされたとき」用に小さい頃から取って置いてあるので、
 まず間違いなく「一番」驚いた出来事であろう。
 彼はすっかり寡黙になって部屋に引きこもってしまった従姉妹を心配して様子を見に来たのである。
 彼とこの従姉妹がお互いを憎からず思い合っていることを知っている彼の三人の弟たちは、

「ごゆっくり。」「今夜は帰ってこなくてもいいですからね。」
「アリバイは任せてよ。叔父さん達にはちゃんと口裏合わせるから。」

 等とそれぞれに冷やかしながら彼を送り出したものだが・・・
 そんな事情を差し引きしても、やはりこのメンバーのお守り役である彼にとっては彼女の態度は看過しうるものではなかった。
 さてなんと切り出そう、と思いながら彼女の側まで近づくと、先に彼女の方から話しかけてきた。

「・・・正直言ってなーんか実感わかないのよね、いまいち。」

 そうつぶやきながら少々行儀悪くソファーの上で彼女は膝を抱える。
 そんな仕草でも彼女がすると子猫のように可愛らしい。
 なので傍らに立つ青年は、彼の従姉妹が大変魅力的な女性であることを再確認することになった。
「別に実感が無くたってかまわないさ。それで何かが変わる訳じゃない。」
「それにしたってまさか新しく母が一人と姉が五人もいっぺんに増えるとは思わなかったわ。」
 そろえた膝の上に、形の良い顎をのせながら彼女が上目遣いに、彼に困ったような視線を投げかけた。

「長い人生、そんなこともあるさ。」
 彼は努めて明るく返そうとしたが、この下手な切り返しは彼女には一向感銘を与えなかったようだった。
「人間じゃない、っていうのはね、まだ・・・始さん達が側にいたし。
 でも、全然見知らぬ人たちから娘よ、妹よ、っていうのはね・・・正直、戸惑うばかりで。
 じゃあ今までの『鳥羽茉理』っていう女の子はなんだったの?っていう。ほら、私両親完備の一人っ子だったでしょ?」
「ああ。」
 そう返事しながら、彼は彼女の両親が娘を愛していたこと、
 彼女の方もなんのかんの言いつつ両親を大事にしていたこと、などを思い出していた。
 彼女の父親は彼にとっては決して良い叔父ではなかったが、だからといって決して彼女にとって悪い父親だったわけではない。
 いや、彼は極力考えないようにしていたが、この従姉妹を叔父の元から浚ってゆく男の最有力候補だった彼が、そもそも叔父に好かれるわけはないのだ。
 叔父は小人で権力にも財力にも滅法弱かったが、そんなところもひっくるめて彼女にとっては「どうしようもないけどなんか憎めないお父さん」なのだ。
 叔母の方は彼も一目置く寡黙な良くできた女性である。
 こちらの方が叔父よりよほど胆力があり、彼も正直言って頭が上がらない。
 かねがね「うちの娘の恋愛の自由だけは守ってやりますからね」と夫に釘を刺し続けてくれているおかげで、
 彼女は権力志向の父親を持つにも関わらず、不本意な見合いもデートもさせられたことがない。
 その点についても彼は叔母には頭が上がらない・・・
 彼女の『両親』の位置はもはや飽和状態であり、今更の他の介入にはさぞ落ち着かないだろう。

 しかし、それにしても今夜の彼女の屈託の無さは少々意外でもあった。
 どんなときでも明朗快活、が彼女のキャッチコピーである。何かまだ、引っかかっていることがあるに違いない。
 いや、その点については、彼も同じであった。
 この美人の従姉妹の「正体」を聞いてから何か小さな氷塊のようなものが心の片隅に引っかかっている。
 無意識のうちに、彼は『それに触れてはいけない』と自分に言い聞かせ、防護線を張り続けているのかも知れなかった・・・

 しかし、この従姉妹は彼の何倍も勇敢であったようだ。しばしの沈黙の後、彼女は重い口を開くことに踏み切った。

「・・・始さんとも」
「・・・え?」

 急速に現実に引き戻され、彼が間の抜けた返事をする。彼女が顔を伏せたまま言葉を続けた。
「始さんとの出会いも偶然じゃなく、必然なら、私は・・・」
 いったんそこで言葉を切って、些か躊躇いながら一つ一つ言葉を選ぶように彼女は言う。

「・・・私は、『太真王夫人』だから、始さんを慕っていたの?『鳥羽茉理』としてじゃなく?
 始さんが私を身近に感じてくれるのも『東海青竜王』だから?
 今までのこと全部全部みーんな、前世から仕組まれたことでした、
 なんて三流のラブロマンスみたいな言葉で片づけられてしまう程度のことだったの?
 わからなくなってしまうの。私は・・・なんにも思い出してないのに。」

 この一言は、彼の心の氷塊を溶かすには十分すぎる爆弾となった。
 彼もずっと考えていたのだ。今の人格と、かつての人格の違いについて、そして、彼と現世では彼の従姉妹である少女の関係について。
 そして、この従姉妹の独白について彼は現時点ではひどく無力であった。
 しかし、「始さん」は今までの長男気質の責任感から重い口を開いた。

「おれだって何にも思い出してないよ。茉理ちゃん。
 そして・・・無理に思い出すべきことでもないと思ってる。
 だって、天界に居た頃のおれ達と今のおれ達の間には少なくとも「同等の力と同じような性格」を受け継いだ以上のことはないと思うよ。
 容姿なんか夢の話だからね、たとえ実際は全然違っていても東海青竜王を「おれ」と設定して見ればおれの姿になるはずだし。
 それに、おれやおれの弟たちが茉理ちゃんのことを大事に思っているのは
 小さい頃からずっと一緒に育ってきて数え切れないくらい面倒を見てきてもらったからで、
 茉理ちゃんが太真王夫人でなくても変わらなかったと思うよ。そのことについてはおれ達を信用して欲しいな。」
 説得とも言い訳ともつかない慰めを言う。自分でも欺瞞だな、と思ったくらいだ。

 しかし、実は従妹が重きを置いていたのはそんなことではなかった。
 彼や彼の弟たちが自分が人間でも仙人でも変わるような連中ではないことくらい18年間のつきあいで熟知している。
 彼女が知りたいのは始の自分への気持ちであった。

 茉理の顔がいっこうに晴れないのを責任感の強い彼は自分のせいにして困窮する。
 その顔を見て茉理も困ってしまう。
 彼を心配させたいわけではない。自分の欲しいものと彼が思っているものとが微妙にずれているだけなのだが・・・

「私はね、始さん。・・・ただ、私が太真王夫人だから始さんの側に居たんじゃない、ってことを解って欲しいの。」
「茉理ちゃんが前世からの義務なんかに縛られる子じゃないことくらい百も承知してるよ。おれ達兄弟は。」
「違うの、そうじゃなくて・・・」
もどかしい。何でこの人はこうも鈍感なのだろうか。
 普段は好もしい彼の純情さが今はかえって短所になってしまっている。
 もっとも、ならばはっきり気持ちを言ってしまえばいいのにできなくて迂遠な表現をしてしまうあたり、
 茉理も茉理である。彼だけを責めるのも酷というものだろう。

「・・・そうじゃなくて?」
 案の定始が聞き返してくる。今度は追いつめられるのは茉理の方であった。

「そうじゃなくて・・・わたしは・・・」


アナタヘノキモチガウソジャナイッテワカッテホシイ

アナヘノキモチガゼロカラハジマッタモノダッテオモッテホシイ

ダッテワタシハ

アナタノコトガスキナンダカラ。

カゾクトシテジャナク、ヒトリノダンセイトシテ

ダカラアナタニモワタシヲスキニナッテホシイノ。

ゼンセカラノコイビトトシテジャナク、イマノワタシヲ。


「おれはお姫様じゃない今の茉理ちゃんが大好きだよ。
 化石標本になったって茉理ちゃんのことが解るよ。それでいいじゃないか。」

 始が優しい調子でそう語りかけた。不意をつかれて茉理が唖然とする。
「今・・・なんて?」
 始が困ったような表情をする。
「・・・もう一回は恥ずかしくて言えないよ。」
「そんな。よく聞こえなかった。」
「・・・前に茉理ちゃんがおれに言ってくれたのと同じ事だよ。」
「嘘。ちょっと違ってたわ。」
「気のせいだよ。さ、晩飯の時間だし、そろそろご機嫌を直していただけませんか?お嬢さん。」

 始が頬を赤らめながらすっとぼける。
 ほんっっっっっとぉに肝心なときにこの人はしっかりしないんだから。
 茉理は心の中で苦笑した。こんなだからいっこうに彼女との仲も進展しないのだ。
 これは私ががんばるしかなさそうだなぁ、と茉理は密かに決意した。
 どうやら彼に期待しているだけではだめなようだ。
 いいわ。始さんに絶対いつか「茉理ちゃんが好きだよ」って言わせてみせるから。
 それも、ちゃんと私の目を見て、何回も。

「ね、始さん。ちょっといい?」
 立ち上がった青年のシャツの裾をつんつん、と引っ張る。
 青年がなんだい、と言って長身をかがめた。その首に少女の腕が回されて・・・


「・・・な、何を、するんだ、いきなり。」

 始が真っ赤な顔をして抗議する。
 飛び退かなかっただけ進歩した、と言えるだろうか。
 唇にはまだ彼女のそれの感触が残っている。

「うーん。ちょっとね。宣戦布告。」
「はぁ?」
「気合いを入れ直したの。」
「・・・???」
 青年は目を白黒させながらも彼女の腕を解く、などというもったいないことはしなかった。
 全く、この従姉妹にはいつも驚かされる。

「まぁ、そんなところが茉理ちゃんの茉理ちゃんたるところなんだけど。」
心の中でそう思いつつ、彼女に甘い竜堂家の長男は大好きな従妹の体を優しく抱きしめた。
「・・・分かった。でも、よその男にはしないで欲しいな。」

――その感情を『溺愛』と呼ぶことに彼はまだ気づいていない。

「失礼ね、誰にでもはしないわよ。」
「うちの兄弟達にもね。」
「うん・・・ええ?」

 ―ちょっと待って、それって焼き餅って言うんじゃないの?

 慌てて彼女が顔を上げる。始の表情は相変わらず読めないが、今までにないくらいとろけそうな瞳で彼女を見つめている。

―時々あーんな事口走ってこーんな顔をするのは反則よね。

 彼女の従兄はどうやら天然のタラシの要素が少なからずあるらしい。
 現に、絶世の美男子の彼の弟よりも総合的に女の子にもてていたのは兄の彼の方だった。
 ラブレターの数こそ弟より少ないものの、
 女性に冷淡な弟の続に対するミーハーな反応と違って彼に好意を寄せる女の子は必ず『彼が本命』で、
 卒業式の前など暇さえあれば呼び出されて告白されていた。
 頑固で照れ屋で気むずかしいが、
 女の子に甘くて優しくて博識で頼りがいがあって面倒見が良くて責任感の強い長男は
 「旦那様にしたい男の子NO・1」と陰でこっそり言われていたのだ。
 当然従妹とはいえ彼と一番親密だった茉理をうらやむ女の子の多かったこと・・・

「いいなあ、鳥羽さんは。竜堂くんと仲が良くて。」

 といわれるとき、その相手はたいてい始だった。
 だからこそ彼女も多少焦っていたところもある。
 早く手に入れておかないと、いつよそから浚って行かれるかわからない。
 尤もいくら女性に好意を示されてもこの青年は殆ど気づきもしなかったが。

「あの・・・始さん」
「うん?」
「もう一回、いい?」

 今度は始も何も言わず、顔を寄せてきた。
 唇が重なる。始の細身だががっしりした体に腕を回す。
 彼も彼女の細い腰をしっかり引き寄せる。
 ああ、この人が好きだな、と茉理は心から思った。
 始さんも同じだといいな。初めてキスができても、まだそう思う。

 はっきりと形になっているわけではない。お互いに感情を口にしたこともない。
 でも周りは自分たちを恋人と呼んでくれる。
 彼も彼女も恋をはじめた覚えがないのに。
 始に訪ねても、きっとそう言うだろう。
 それだけは分かりすぎるくらい分かっているのに。

 その腕に抱かれていても、自分の片恋のような気がする。
 きっと前世の自分も苦労したに違いない。
 もしも前世の性格が今と同じなら、この男性―東海青竜王に「愛してる」と言わせるのは至難の業だ。
 茉理は始めて太真王夫人に親近感を持った。

―お互い難儀な人を好きになったもんね。

―でもそこがいいんだけどね。困ったことに。

 という返事が聞こえてくるような気がする。少なくとも茉理はそう言う。
 彼女は確かに太真王夫人と同じ魂を持っているのかも知れない。
「そうか、前世でもまだ何にも始まってなかったのかもしれないな。」
 だったら答えは意外と簡単だ。

「・・・どうした、茉理ちゃん?」
 唇が離れた後、黙り込んでしまった従妹に始が不安そうな声をかける。
「ううん。・・・ね、始さん。」
―太真王夫人と青竜王がどうだったかは分からないけど、もし私が前世から持ってきたものがあるとすれば、
 『好きにならずにいられない』という気持ち。

「何だい?」

―それなら、それでもいい。

「私ね、ずっと、始さんが―――――――」

―私がこれから創っていくのは私だけのものだから。だったら、まずははじまっていないものをはじめなきゃね。

 かくしてことこういうことに関してはあきれるほど口べたな青年は、
 その端正な顔を真っ赤に染めながらもう一度彼女に唇を寄せる羽目になる。

 承諾の返事、いや、はじまりの合図のために。





END



 

デザインだけ読みやすいように変更しました。
ええ、夢見すぎです。ドリーマーです。
いいんだよすっげー昔に書いた話なんだから!!(逆切れ)
若かったんですナァ。合掌。
だって2000年一月のサイト立ち上げ時には既に在ったんだもの(笑)

+++back+++