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甘いお菓子をくれる人について行っちゃいけない、って小さい頃からいわれて、あたしは育って来た。
人間は妖人を酷い目に遭わせようといつだって隙を狙っているから。
だから西王母桃、例えどんなに綺麗な顔をしている人間に、どんなに心地よいことをいわれても、甘いお菓子をくれると言っても、絶対に貰っちゃ、いけないんだって。
それなのに。
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「西王母桃くん!」
にこやかに無駄に爽やかな笑顔を振りまきながら、外出から帰ったらしい総角が門を潜って中庭に入ってくると、二階からいつものように中庭を見下ろしていた西王母桃に向かって手を振った。
「ちょっとそのまま部屋に居てくれないか、今上がって行くから」
「はあ?ちょっと、あたしがいつあんたに入室許可なんて出したのよ、ちょっと!」
手すりから身を乗り出して叫んだが、総角は既に家の中へと駆け込んだ後だった。
「もう、人の話を聞きなさいよね!」
ならば部屋に鍵をかけてやるのみ、と慌てて立ち上がったが、敵のリーチは思ったより長く、足も速かったらしい。
こんこん、という軽いノックの音とともに、部屋の扉が引き開けられた。
「西王母桃く……」
「あんたっ!女性の部屋に入るのに許可も取らないってどういうことっ!?」
どやし付けてやっても、ごめんごめん、と全く悪びれない笑顔で総角は笑う。どこか頬が上気しているようにも思えるのは、外の寒さの所為だろうか。
色素の薄い総角は、ちょっとした色の変化も敏感に表情に出る。鼻の先と耳の先が僅かに赤くなっているのを見て、西王母桃はふと手を伸ばして温めてやろうか、と思ったが、慌てて首を振ってその衝動を打ち消した。
(な、なによあたし、こんな奴の心配なんて、してやること、ないじゃない!)
そんな西王母桃の、手を出しかけて結んだり開いたりしている戸惑いに等露程も気付かず、総角はにっこりと微笑んで、懐から小さな箱を取り出し、西王母桃の前に差し出した。
「はい、これ。西王母桃くんに」
言いながら、壊れ物でも扱うかのように、そっと紙箱の蓋を取る。
「わああっ……!」
さしもの西王母桃が、一目見た瞬間に声を詰まらせた。ついでに耳までもぴくぴくと動いてしまう。
冬の日差しで光り輝く、砂糖細工で出来た薄い玻璃のような深紅の薔薇の花が一輪、紙箱の中には入っていた。
「綺麗だろう?母上が頂いたものの中にあって、一つを君に、って分けてくれたから……急いで渡したくて、走って来たんだ」
きらきらと少女らしく瞳を輝かせる西王母桃の姿に満足したのか、総角が満面の笑みを浮かべる。
「で、でも、こんなもの、どうやって作るの?バテレンの魔術?」
「まさか、違うよ。飴細工さ」
「飴細工って、街角で小鳥やなにやかし、作って売っている、あれでしょう?」
あれでこんなに綺麗な薔薇が作れる筈が無いわ、と疑わし気に言う西王母桃に、総角が頭を掻いた。
「なんでも、専門の菓子職人が作ると、こんなことも出来るらしいよ。西洋ではパティシエ、というんだそうだ」
「ぱてぃ、しえ」
言い慣れない単語を繰り返す西王母桃の童女のようなあどけない仕草に目を細めながら、総角は続けた。
「本当は、赤いのと白いのと黄色いの、三輪あったのだけれど、母上の分と、妹の組子に一輪ずつ持って行ってもらって。で、どうしても赤いのを君にあげたいって、頼み込んだんだ」
だから受け取って、と手渡される箱に、西王母桃はなんども薔薇と総角の顔を交互に見比べる。
「いいの、こんな……貴重なもの」
触れて壊してしまうのさえ恐ろしく、指先で花弁にこわごわ触れる西王母桃を見ながら、総角はいいんだ、と言った。
「僕が、西王母桃くんにあげたかったんだ」
「……」
言葉を失って見上げてくる西王母桃に向かって、優し気に、砂糖菓子のような蕩ける甘い笑顔で総角が微笑む。
(どんな女の子だって、あの夢の王子様のような笑顔には一発で参ってしまうだろうねぇ)
いつだったか、人間嫌いの筈の三葉杏でさえ、そんなことを漏らしていた。総角の笑顔は女性にとっては特に破壊力を増すらしい。
「まあ、味は普通の飴だと思うけどね。……溶けてしまう前に、どうぞ」
「ま、まあ、あんたがそこまでいうんだったら、有り難く貰ってやらないでもないわ。……あ、ありがとう」
「どういたしまして」
口の減らない西王母桃の言い草に気を悪くした様子も無く頷く総角に、流石に良心が疼いた西王母桃が、それじゃあ、と提案をする。
「前にあんたに渡した、甘いものの引換券。……あれ、全部なしでいいわ」
こんな薔薇を貰ったもの、無効にしてあげる、というと、総角は目を丸くしてとんでもない、と首を振った。
「僕はそんなに了見の狭い男じゃないよ、約束は約束、これは、贈り物だ」
他の人には内緒だよ、と薄い整った口唇に指を当てる総角の笑顔にあてられて淡く頬を染めながら、西王母桃はやはり、人間が甘いお菓子をくれるというのには気をつけなければならないんだわ、と心の中でひっそり思った。
(そうやって、いわれるのは。貰ってしまったら、代わりに大切なものを持って行かれてしまうから、なんだわ)
心、と呼ばれる大切なものを対価に要求する薔薇販売人が立ち去ってからも、西王母桃はいつまでも飽かず、砂糖細工のきらきら光る薔薇を見つめ続けていた。
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+++END.
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