Hungry Spider




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2:山間の胡蝶


「いらっしゃいませー」

 木造のしっとりした建物の玄関で、はきはきとした声が響いた。あ、東堂の声だ、と巻島は思わず顔を上げて玄関の方を確かめる。

 にこやかに表で声をかけている東堂が、そのまま法被を着てせっせとやって来た客の荷物を運んでいるのが遠目に見えた。

 要は力仕事担当要員か、と巻島は同じようにこちらはバックヤードに届けられた荷物を運びながら、ちらりともう一度東堂を盗み見た。

 東堂は、客としてやって来た自分たちの母親ほどの世代の女性達と、にこやかに談笑しつつ先導をしている。きっと、部屋まで案内するのだろう。

 奥に消えたと思ったがすぐ戻ってきて、これはあちらの部屋こちらの部屋、と割り振りを聞きながらその場に積まれた荷物を運び始めた。巻島の方は、来た当初からもっと裏方の方に連れてこられている。

 服装は、シャツとスラックスだ。東堂共々、黒いネクタイも締めている。

 東堂こそ、あのカチューシャはドウヨ、と思っていたら、ちゃんと外して整えていた。大人びて見えて少し苛ついたので、オッサンくさいっショ、と言ってやったが。

 一応巻島の方も、家を出る前に母親チェックを受けたので、訪れたときの服装はおかしくないはずだったのだが、そんなブランドもの汚してどうする、と到着した途端に東堂が制服を貸してくれた。

 ちなみに、巻島チョイスの私服コーディネートは出かける前に母親によって総没を喰らったことは言うまでもない。オレのこと信用してねえショ、と東堂に言うと、まあそれは……。と言葉を濁された。酷い話だ。

 腕と脚が細くて長い巻島は、多分東堂のものらしい借りた服のサイズが合わず、あちこち折り返したり縛り上げたり足りないところは誤魔化したりしてなんとか着こなしている。

 オレの美意識に合わねえショ、とぶつぶつ言いながらネクタイを締めていたら、なんだ自分でできたのか、と隣で着替えていた東堂に残念そうに言われた。どういうことだ。

 そんな事を考えていたら、巻島さん、と名前を呼ばれた。

「尽八さんから、裏方の方に入れてやってくれと言われてますからね、こっちお願いします」

 こんなイケメンさんなのに、表に出ないなんて勿体ないねぇと仕事を教えてくれる初老の男性に言われ、巻島は頭を掻いた。

「すんません、こんな妙な頭の野郎で」
「いやいや、うちの孫なんかもっと派手だから」

 男は何でもないように言い(オレより派手ってそれどういう色ショと巻島は一瞬思ったが)、しかし、と付け加えた。

「若さんがお友達を連れてくるのは初めてでねえ」

 巻島はまたしても盛大に瞬きをする羽目になった。感情表現が苦手な巻島としては、どういう表情をして良いか分からないと、つい瞬きを多くしてしまう事がある。

 東堂は割合早いうちにその事を見抜き、巻ちゃん今困ってる? とか驚いてる? とか即時に聞いてくるようになったが、流石に東堂以外にそんな芸当ができるとは、巻島も思っていなかった。

 若さん、というのは東堂の事だろう。もしかして、若旦那さんのことだろうか。人が若などと呼ばれる所にはリアルで初めて遭遇する。巻島はなんとなく頬を緩めた。

(へぇ、あいつが若さん、ネェ……似合わないショ)

 後で東堂をからかってやろうと心に決めた巻島自身はというと、東堂に負けず、坊ちゃん呼ばわりならば周囲からは普通にされていた。

 そもそも、なんとはなしに似たような話易さを感じて、東堂に関心を持った巻島である。

「……オレ、いや、僕が、余りに何も知らないので、見かねたみたいです」

 とりあえず理由はそんなところにしてみた。一人称に何をチョイスして良いのかも、実はまだ今二つくらい戸惑っている。なので、宜しくお願いしますともう一度頭を下げてみた。

 巻島だって、両親の仕事の付き合いの相手と同席したりした事もないではなかったが、そんな時は、巻島自身は控えめにしていて、殆ど喋らないでも良かった。

 だが、こんな局面になってみると、もしかしたらそれも両親が随分と庇っていてくれたのだろうか、とふと思う。東堂の堂々とした立ち居振る舞いを見ていると余計にだ。

 変人扱いされるのには慣れているが、一人前に扱われるのはどうもくすぐったくて慣れない。

 東堂はさらりと私が、などという巻島では照れて使えない一人称を使いこなし、せっせと途切れなく訪れる宿泊客を捌いている。

 東堂と話をした客が、例外なく笑顔になるのが巻島には新鮮だった。

 年末だけの手伝いなら、一年近いブランクがある筈だが、これが家付き息子ってやつか、と巻島は内心で舌を巻いていた。

 よいしょ、と重い荷物を持ち上げながら、ちらちらと東堂の方を気にする。細身に見えるが、巻島は筋肉質で、重いものを持ち上げる膂力には事欠かない。そもそも、クライマーには斜度のきつい上り坂でも自転車と己を持ち上げる膂力と脚力が必須である。東堂の方も、両手に大きな荷物を軽々と抱え上げて、足取りも軽く立ち働いている。

 無論、笑顔は絶やすことなく、だ。

(なーんか、敵わねえ気がするショ……)

 ホテル、というほど規模は大きくないが、由緒のある宿としてそれなりの威容を誇る東堂の実家は、基本的には家族が中心になって経営しているようだった。

 着いた最初に東堂が案内してくれたが、確かに源泉も敷地内に沸いていた。浸かるのは後でのお楽しみな、と言い含められていて、巻島は結構上機嫌だった。

(っていうか、なんか別世界みたいショ)

 普段自分が生活している環境とは違い過ぎて、巻島は目に付くもの全てが目新しくて、果たして自分が馴染めるのだろうかと不安もあったが、面白くもあった。

 巻島が感心したことに、親の代……と言っても東堂の親のそのまた親のことだが、そんな世代からの従業員も数人居るようだった。そんな老人たちから、東堂の小さい頃の話も色々聞かせて貰って、巻島はここに来たことをすっかり楽しみ始めている自分に気がついていた。

 仕入れた東堂の幼い頃の話については、後で本人からたっぷり言い訳を聞かせて貰うつもりである。

 客足はシーズンで変わるので、家族だけでは手が足りないほど忙しいときには、単発のアルバイトを雇うらしい。巻島の身分は、この部分の端っこに引っかかっていた。

 合間で一度、東堂の母が顔を見せに来てくれて、巻島は随分と恐縮することになった。友人の母親として会うときとはまた違う、貫禄のようなものが目に見える。

 それは、東堂の方にも言えることかもしれなかった。どことなく、やはり水を得た魚というか、普段の軽々しくさえ思える言動も影を顰め、しっとりと落ち着いたように感じる。

 巻島は、急に油彩のように重い色彩を持ち出した世界にふうと息を吐いた。

 年末年始に留守にすることについては、いつも遊びに来たり行ったりしている東堂の実家に、面白そうなので手伝いとやらに行ってきていいか、と自身の両親に話をしたところ、快諾された上に息子の働く姿を見物しに泊まりに行きたいと言い出したので宥めるのに必死だった。

 くれぐれも宜しくねとわざわざ東京で仕入れてきたお高い希少なお土産の大きな菓子折を持って送り出され、どんなバイトだヨと内心でぼやきつつやって来た箱根だったが、やはり来て良かったかもしれない。

 ちなみに、東堂の家族にはかなり歓待された。うちの尽八がいつもお世話になって、と下へも置かない歓待ぶりが、流石に客商売だけあって如才ない一家である。

 そして巻島は直ぐに、東堂の家の手伝い、というのが自転車が絡むと弾丸のように飛び出して行きっぱなしの東堂が少しでも家に帰るための口実であることを見抜いた。

 手伝いに帰ってこい、と家族は東堂を呼びつけ、東堂は仕方ないといいつつも何を置いても帰ってくるのだろう。自転車を続けさせてくれない、等というのは東堂の照れ隠しの憎まれ口以外の何ものでもなさそうだ。でなければ、巻島まで巻き込もうなどと思いもしないだろう。

 なんだかそういうのも悪くはないな、と巻島には素直に思えた。同時に、この部分を自分に見せようとしてくれた東堂の気持ちがくすぐったかった。

 しかし、と年輪を感じさせる建物を見ながら思う。東堂の両肩には、既にこの家の看板がしっかりと乗っている。

 へらへらと軽佻浮薄に見えて、実際は策士で切れ者だというのが巻島の中での東堂の評価だ。きっと、東堂の根っ子の所にはいつもこの家があるのだろうな、と漫然と思う。

 揺るがない根幹があるからこそ、東堂はあんな走りが出来るのかもしれない、とまで巻島は考えた。

(そりゃ、確かに箱根の山神様とか言われる訳ダァ)

 巻島だって、いつかは家から独立するだろうと思っているし、たとえば兄は既に家を出て海外で忙しく働いている。

 比べるようなことではないけれど、こんなところでも同い年の筈のライバルがほんの少し先行しているように思えて、巻島は少しだけ口を尖らせた。

















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そんな訳で2話目です。巻ちゃんがなんかぐるぐる考えていますが、巻ちゃんには割合に東堂さん別格フィルター掛かってます。ご愛敬。

 

 

 

 

 

 

 

 

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