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永遠というものは存在しない。それが東堂尽八の持論であった。
時とは、全て一瞬のものだ。
1:クラウディ・ホームルーム
「おい! 真波! 真波山岳!!」
一年生の教室のドアがけたたましく開けられ、最終走行会で追い出されたはずの山神が姿を現したので真波山岳は唖然とした。
三年生はもう既に受験勉強のため、自由登校だったとは思うのだが。
「と、とうどう、さん!?」
ちなみに、真波の方は今日は委員長の宮原に捕まっていて、しっかり宿題をやらされていたところだった。その様子をちらりと見た東堂尽八は、宮原に向かってにっこりと微笑む。
「すまんね、お嬢さん。少しだけ真波を借りて行くぞ」
「えっ!?」
委員長は何か言いたそうだったが、相手が三年生では何も出来ない。ちなみに、東堂ご自慢の女子を骨抜きにする筈のルックスは、堅物で優等生の宮原相手には効果は薄そうであった。
ものすごく不満そうに、いいですけど、と言われる。
腕を引っ張られるまま真波は立ち上がり、ごめんね、とメガネで長い髪を二つに括った幼馴染みに向けて手を合わせた。仕方なしに、宮原も渋い顔で頷く。
教室を出て、廊下の人気のない場所まで引っ張ってこられた真波は、どうしました東堂さん、と首を傾げる。東堂は重々しい表情で真波を振り向いた。
「うむ、単刀直入に聞く。あの女子は彼女かね」
「……は?」
本気で東堂の言っている言葉の意味が分からなかった真波が目を見開く。東堂は続けて聞いてきた。
「さっきまでお前の勉強を見ていたメガネの女子は、お前の彼女かと聞いているのだ!」
ずいと詰め寄られて、真波は慌ててぷるぷる首を横に振った。なんだかとんでもない誤解をされている。
「ちが、違います、い、委員長は委員長、で」
ただの幼馴染み、という真実を言った方がいいかどうか迷ったが、東堂は宮原が真波の彼女ではないと知った時点である程度は満足したようであった。
そうであろうな、お前のような男に彼女など十年早い、等と言って頷いている。
「ならば良し! お前はアレだからな、来年からの箱学の女子人気も背負っていかねばならんからな、オレの代わりに」
「……はあ」
「腑抜けた顔をするな、一人の女子に縛られた生き方をするならばその心構えを教えてやろうと思ったのだ!」
真波はますます目を白黒させた。それはつまり彼女との付き合い方を伝授してくれるということか。
男女交際の機微など、よくは知らないけれど、とりあえずこの東堂に聞いてはいけない気がする。真波は慌てて首を左右に振った。
「い、いえ、いーです、オレまだ彼女とか、考えたことないんで」
むしろ、真波の人生は現在まだまだ自転車一筋だ。宮原とはずっと仲の良い幼馴染みで来たし、ときどき可愛いとは思うが、それだけだ。
真波への想いを淡い恋心に変化させつつある彼女の方とは違い、さっぱりそっち方面では成熟していない真波である。
東堂はなんだつまらん、と呟いた。東堂を面白がらせるために存在している訳ではない、と真波は思ったが、それはそれで口にすると喧しそうなので黙っておく。
沈黙を保ったままの真波に何を思ったのか、東堂が重々しく一つ咳払いをした。
「では、本題に入るぞ」
その台詞を聞いて、真波は思わずコケる所だった。
「今のは本題じゃなかったんですか!?」
思わず言い返してしまう。というか、言ってもいいと思うのだ、流石に今のは。しかし、東堂は全く意に介した様子はなく真波に向かって言い放った。
「前置きだな! オレはトークも最高に切れるからな!」
ビシイッと指を突きつけて言われ、真波はもう少しで頽れるところだった。相変わらずこの先輩だけは如何ともし難い。
(ほんと、かなぁないっていうか、なあ……)
しかしながら、大好きな山において、真波山岳が今のところ絶対に勝てない唯一の相手こそが、この東堂尽八であった。
ご大層にも思える異名、「山神」の二文字は、山岳スペシャリストの称号だ。こと山において、東堂は現在の所、高校生クライマーの頂点と言っても決して言い過ぎということはない選手だ。
先だっての走行会でも、山のステージで飛び出し、胸を貸そうと言われ、真波も本気で走ったが、とうとう追いつけなかった。
しかも、なんだかんだ真波を煽った挙げ句、さらりと勝ってしまった。かなぁないや、と心の底から思った瞬間である。
「で、……本題と、いうのは」
「うむ、真波山岳、お前、この間のファンライドの山の勝負、オレに負けたな?」
言われ、そのこと自体は本当だった真波は頷いた。
「あ、……はい」
「その罰ゲームだ、今週の日曜日、オレと一緒に自主練に付き合え」
「……へ、ええっ!?」
真波は心底驚いた。まさか、東堂から個人的に誘われるなど、夢にも思っていなかった。罰ゲームなどと言っているが、これは山を競おうというただの誘いだ。
(どうして、急に)
正直、真波は戸惑いを覚えた。
というか、もう部活も引退しているのに、誘うならもっと早く誘って欲しかったと思う。
(まあ、東堂さん、自主練は総北の巻島さんとばかりしてたって聞いてるしなあ)
向こうも受験で引退して、真波にお鉢が回って来たのか、と総北の詳しい事情を知らない真波はぼんやりそう思った。
「どうしたんですか東堂さん、自主練なんて、一体」
今更、とは流石に口にしなかった真波に、ロードレースのシーズンは終わったが、山は常にそこにある。箱根以外の山も楽しそうだろう、とすました顔で東堂は続けた。
「輪行バッグでバイクを持って、ジャージも持って付いてこい」
「ええと……」
「泉田には話は通してある」
二年生の自転車競技部現部長の名前を出され、真波は頭を掻いた。流石に三年生、先手を打ってある。どうも、真波はどう悪あがきしても逃げ道はなさそうだ。
「……分かりました」
少しだけアホ毛を項垂れさせつつ首を縦に振った真波に、東堂は満足そうな表情を浮かべる。
「行き先は当日まで秘密だ、楽しみにしておけ」
「はいっ!」
運動部らしく真波が全てを飲み込んではっきりとした返事をすると、東堂はよし、と言って何故かとても嬉しそうににこにこ笑った。
「ではな、真波、コンディションは整えておけよ」
「はい!!」
まあ、山に登れるのなら、いいか。元々楽観的な真波は、その程度に考えて東堂の背中を見送った。
教室に帰ると、どうやら一部始終が聞こえていたらしい宮原が宿題を持って、じゃあ自主練までにこれ片付けないとね、とやや引きつり気味の笑顔で前に立ち、真波は逃げ場を探して教室の天井を仰いでしまった。
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+++END
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