天然誘接




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 腹が減ったな、と切り出したのは二人同時だった。

 東堂に誘われてやってきたヒルクライムの練習の帰り、お互い手持ちの軽い携行食料では足りない、ということはよくあったので、どこかで何か食べて帰ろうという話はすぐに纏まった。

 ただし、その後は少々難航することになった。

 ここ一度登りたかった、と誘われた峠は確かに人気も少なく、車の通りもまばらで道も悪くはなく、練習コースとしてはこの上なく良かったが、幹線道路からは外れているので、周囲に名の知れた大型のチェーン店などは見つけられなかったのだ。

 こうやって考えると、マックがあるのは都会なのだなと東堂が呟き、巻島も同意する。考えてみると、お互い小高い場所にある学校の学生である。ちょっと抜け出して買い食い、というのは実はあまりしたことがない。

 うちの学校なんてヨォ、最寄りのマックが二キロ以上先ショ、と巻島がぼやけば、東堂が箱学の田舎ぶりを舐めるなよ巻ちゃん、と妙な具合に張り合う。

 まあつまり、二人とも田舎に慣れ過ぎていて、店がない事など気にも留めていなかったというオチだ。来るときはとにかく今から走るコースに夢中でそんなことは露程も気にしなかった。意外な盲点だな、と二人して苦笑しあう。

 どうしようと言いながら帰り道を流して、発見したどことなく古びた食堂に入ることにした。

 正直、巻島は躊躇わないでは無かったが、ここを逃すと次は相当遠くまで行かなければならない気がしたのだ。

 東堂はお育ちの割には食べ物に文句を言わないので、むしろ巻島より積極的なくらいだった。チェーン店よりも面白そう、とウキウキしている。

 看板には大きくドライブインと書かれてはいたが、実質は食堂だ。覗いてみると年寄りの夫婦だけで経営しているようで、看板娘は残念ながらいなさそうだった。

 それでも、東堂はこんにちはとはきはき声を掛けて中に入って行ってしまう。巻島は、やや遅れて後に続いた。

 壁に貼られているメニューを見渡した東堂は、無難なところで焼きめしを注文していた。巻島はカレーだ。

 暫くして、学生さんはたんと食べないとねえ、という割烹着のお婆ちゃんが持ってきた皿は、二つとも一目で分かる大盛りだった。

 ありがとう、と如才ない東堂は笑顔で礼を述べている。巻島も合わせてショ、と小さく頭を下げた。

 こんな時、社交的な連れがいるのはとても気が楽だ。店の人間に幾ら話し掛けられても、東堂が巻島の分まで一手に引き受けてくれる。

 その事もあって、人付き合いが得意ではない巻島も、東堂とは気軽にどんな店でも入ることができた。

 そうでなければこんなある意味敷居の高そうな店は諦めて、最小限の他人との接触で済むファストフード系を必死で探したことだろう。

 腹が空いていた巻島は、頂きます、と手を合わせると、直ぐにスプーンを取り上げた。向かいで東堂も食べ始める。

 しかしながら、食事を開始して暫く、巻島はどうにも居心地が悪い気がして手を止める。

 原因はすぐに分かった。

 普段、ファミレスなどでは巻ちゃん巻ちゃんと煩いくらいの東堂が珍しく黙って食べているのだ。

 一体どうしたのだと、気になった巻島の方から話題の水を向ける。

「なあ、東堂」
「うん?」

 東堂はすぐに顔を上げて真っ直ぐ巻島を見た。巻島の声が届かなくなった訳ではないらしい。だとしたら、と巻島は思いついた可能性を尋ねてみた。

「それ、そんな旨いショ?」
「……へ?」

 黙々と食べているのだから、相当に美味しいのではないかと巻島は考えたのだが、東堂は少し考えて普通かな、と言った。

 巻島の食べていたカレーも、懐かしい味ながらもまあ普通、という所だったので、そうか、と言ったが、どうもそれだけではない気がする。

「その割に、なんつーか……」

 上手に表現できない。東堂の食べ方が、普段のそれとどこか違う気がしたのだ。そしてなぜだか、その事がとても気になった。

 東堂は暫く手を止めて不思議そうに巻島を見ていたが、すぐにああ、と言った。巻島の言いたいことに気付いたのだ。

 巻島の頬がほんの少し緩む。相変わらず察しが良い。東堂は、早速巻島のあやふやな問いかけに対する返答とも言える話を返して来た。

「ああ、昔のな、子守さんの作ってくれた焼きめしの味に良く似ていて、懐かしくなった」
「子守さん?」

 チャーハン、ではなく焼きめし。シッターではなく子守さん。

 多弁ではあるが、東堂の言葉選びは一つずつが丁寧で懐かしくて、巻島はなんとなくこういう所は東堂と話をするのが好きだった。

(しっかし、子守さん、ネェ……)

 胸の中でだけ、ひっそりと巻島は呟いた。

 巻島の家も大概吹っ飛んでいるが、箱根の由緒ある旅館が実家だという東堂も、方向性が違うだけでどうしてなかなか普通ではない。

 当然、慣れているのか巻島の話にもいちいち過剰反応してこない。心の中でどう思っているかは別にして、表面上は巻島がどんな突拍子がない話をしても、さらりと相槌を打つだけだ。

 その癖、反応して欲しいなと思うところにはちゃんと反応してくれる。

 ボンボンだの金持ちだの友人知人一同から言われまくる巻島には、話題を選ばなくてもいい、気兼ねなく話せる東堂はそれだけで気が楽だった。

 多少普段の言動が煩かろうと、遠ざけようとは思わないくらいには東堂を気に入っている。その、東堂が、どことなく昔を懐かしむような表情をしながら話を続ける。

「……オレの実家は旅館だと話しただろう? 両親は朝から晩まで居ないに等しいので、子守さんに世話をして貰っていたのだよ」

 実家周りでは皆そうしていたらしいので、特におかしいことだとは思っていなかったが、と続けた東堂は、どうやら中学に入って校区が広がった頃に、自分の家があまり一般的ではなかったことに気付いたらしい。

 新しく出来た友達は、東堂の家庭環境を普通ではない、と言った。東堂もその頃は自分の事はある程度自分でできるようになっていたし、姉も居たのでもう子守さんに世話をして貰っていた訳ではなかったのだが、それ以来人には余り実家の話をしなくなっていった。

「乳母みたいなもんショ?」

 子守さんという響きから、時代劇を思い浮かべながら巻島は言った。流石の巻島でもピンとは来なかったらしい。聞いた東堂が苦笑する。

「いや、流石にそこまでは……普通のおばあちゃんだったな。学校から帰るとな、夕食を作ってくれているので、それを食べて、暫く遊んで貰って、風呂に入れられて、遅くとも8時過ぎには寝かされていたな」

 へえ、と巻島は思った。東堂は近所の子供達のガキ大将だったり、犬の子のようにラフに丈夫に育ったイメージがあったのだが、どうしてなかなか箱入りのようだ。

「早いな」

 八時九時なら幼い巻島はまだゲームやマンガに勤しんでいた時間だった気がする。そんな事を思い返しながら言うと、東堂はそうだなと苦笑した。

 ちなみに、東堂の方はゲームもマンガもアニメも禁止されていたので、割合大きくなるまでその手の知識は持ったことがなかった。

「恐らくそこまでが勤務時間だったのだと今ならば分かるが、当時は子供のこととて、寂しくて帰られるのが嫌でな、よくぐずったものだが……」

 それを聞いて、巻島はつい笑ってしまった。

「今と変わんねーじゃねえかよ」

 練習走行が終わって、巻島が帰ろうとするとぐずぐずと寂しがる素振りをする。お茶をしようとか飯を食って帰ろうとか、少しでも巻島の帰りを引き延ばそうとするのだ。同じ態度を取る幼い東堂の姿は、巻島にはすぐ想像がついた。

 その東堂は、オレはオメエの子守さんじゃないショ、という巻島の言葉に少しだけばつが悪そうな顔になる。

「煩いな。それがだな、ぐずったりすると、とびきりに怖い話をされるのだよ、巻ちゃん!」

 箱根学園のジャージを着た何処から見てもアスリートな男に、ぐっとスプーンを握りながら力説されても、全く怖さは伝わってこない。巻島は片眉だけを上げて答えた。

「怖い話、ねぇ」

 うむ、と東堂は重々しく頷いた。

「あの頃聞いた話が全て本当なら、箱根の山奥は百鬼夜行の巣窟に違い在るまいよ」

 なんと恐ろしい、と生真面目な顔で言う東堂に、巻島は思わずクハ、と笑ってしまった。時代がかった言い回しだが、嫌いではない。

 なので、ついからかってやりたくなった。

「オメーは山神様じゃねえかよ、それなのにお化けが怖いショ?」
「言うな、巻ちゃん……」

 面白がって顔を覗き込むと、嫌な顔をされた。それが愉快で更に食い下がる。

「しかし、オマエの話聞いてると飽きないショ。オレも旅館の息子やりたくなったなぁ」

 一瞬だけ、それは本当か巻ちゃん、是非! などと煩く食い下がられるかと思ったが、案に相違してはは、と東堂は軽く笑っただけだった。言われ慣れているのかもしれない。

「なに。旅館の息子などつまらんものだよ。両親どころか、祖父母までそれこそ日がな一日仕事だしな。遊び相手など誰も居なくてな、オレはロードで山と戯れるようになった」

 さらりと続いた話は突っ込むとまだ中身が出てきそうにも思えたが、巻島は沸き上がる好奇心を抑えて相槌だけを打った。

「……ヘエ」
「それが全てだ」

 ただし、色んな人が代わる代わる面倒を見てくれるので、人見知りはしなくなったかな、と東堂は話を締め括り、焼きめしをもう一口、思い出したように口に運んだ。

 その東堂の、どことなく過去を噛みしめるように食べている顔を見ていた巻島の口から、ぽろりと言葉が零れる。

「オレにも」
「……へぇ?」
「オレにもそれ、一口食べさせてくれ、ショ」

 東堂は一瞬驚いた顔をした。巻島は割合に潔癖な質で、レースの時のボトルなどは別にして、例えばペットボトルには直に口を付けない。どんな時でもストローを用意している。

 それに、人の食べているものには口を付けないし、分けて貰うこともない。

 こちらは潔癖というよりもむしろ躾が行き届いているので、口が綺麗なのだ、と東堂などはむしろ巻ちゃんお育ちがいいなあ、と感心していたのだが。

 その巻島が、自分が食べているものを寄越せという。どんな青天の霹靂かとやや動揺しつつ、東堂はスプーンで一匙焼きめしをすくうと、そのまま巻島の口元に差し出した。

「……ほら、巻ちゃん」
「ン」

 巻島は躊躇せずにその匙からぱくりと直接食べると、もぐもぐごくんと咀嚼して飲み込んで、口の中を空にしてからこれがオメエの懐かしの味ね、と呟く。

「あ、ああ……家ではまず作らないのでね、近い味のものに巡り会うと嬉しい……」

 そんなことを言いかけて、東堂は唐突に自分の取った行動が恥ずかしくなってきて、じわじわと赤面していく。

 いくら突然の出来事に焦ったからといって、食べさせるのはナシだっただろう。スプーンごと巻島に渡せば良かったのに。

(お、オレは一体、何を考えてたんだ……!?)

 友人同士の食べさせ合いにしては近すぎるし、受け取った巻島の抵抗のなさも意外だった。

 自分たちは友人でライバルだが、そこまで近しい間柄ではなかった筈だ。現に、箱根学園自転車競技部のチームメイトとも、東堂はこんなことはしない。

 赤くなったり青くなったりする東堂を見ていた巻島は、思わず吹き出してしまった。

「クハ、どうした東堂? 真っ赤ショ」
「……なんでも、ないっ!!」

 ふいと視線を背けながら、次からもうまともな顔で焼きめしが食べられなくなるんじゃないか、と不安になってきた東堂であった。



 ちなみに遅れること半日、家に帰って部屋に入ってから、巻島の方も自分はなんという事をしたのか、カレーのスプーンで貰えば良かったショ、と床の上でのたうつことになるのだが、それはまだもう少し先の話になるのであった。
 
















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+++END

 

 

はじめての東巻ちゃん。無自覚寮片想いが大好きです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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