声をかけながら男が部屋に入った時、そこは無人だった。
「……藍染隊長さん?」
呼びかけて、部屋に足を踏み入れる。わざわざ人を呼んでおいて、いないというのは何事だ。まあ、今に始まった話ではないが。
「ほんまに、気紛れなお人やなあ、かなん」
呟きながら、待っていようか、それともさっさと出て行こうかと暫く考えた、そのとき。部屋の中央の光景が、ギンの目を惹いた。
部屋の中央に鎮座する崩玉が、目に入ったのだ。
「なんやの、……不用心な」
思わず、呟いてしまった。まだまだ、藍染達死神に心から服従していない破面達は多いのだ。
無論、藍染の力の源である崩玉を狙う輩も多い。実際に、奪って現世へ逃げようとした破面も、一匹や二匹ではなかった。その度に、東仙なりギンなりが、始末を着けていたが。
(まあ、破面風情に、盗られる訳にもいかへんし、なあ)
こちらの崩玉は、朽木ルキアから取り出したものだった。
……ただし、こちらの崩玉には、ギンは大した興味はなかった。藍染が作ったのとは別の方法で作り上げられたものらしい、というその位である。
(まあ、もう一個の方のんを使う時に、力借りた方がええかな、ちゅうくらいのもんやろけど)
心の中だけで、ギンは一人ごちた。
そう、浦原喜助が作り上げたものと、藍染惣右介が作ったもの、崩玉が二つ存在する事を知っているのは、藍染惣右介のみ、ということになっている。
少なくとも腹心の筈の東仙も知らないし、ギンも長年の付き合いではあるが、一度も聞かされた事はない。
ギンは、知っていただけだ。最初から。
ひょこひょこと、見物でもするかのようにギンは近づく。何度か近くで見た事はあったが、こうもまじまじ見る機会は、流石になかった。
しかし、台座に鎮座している崩玉は、今日は普段とは違っていた。ギンが、普段は細く閉じられている目を大きく見開く。
崩玉は、「二つ」あった。並んでおいてある瓜二つの玉は、どちらも不思議な玉虫色に光り輝いている。
ごくり、とギンが唾を飲み込んだ。
(罠、……かと思うくらい、タイミングのええ話やな)
そう、市丸ギンは、藍染惣右介になど、心の底からは従っていなかった。銀髪の男には、死神になるよりも前から己に定めた、大切な者が存在していたのだ。
乱菊、と胸の中で、ギンは彼の太陽の名前を呟いた。丁度、滅多に見ない彼女の夢を見た所だった。それで、魔が差したのだろう。
どちらが、藍染が作ったものなのだろう、と思った。何か、見分ける方法がある筈だ。まじまじと顔を近づける。しかし、二つの崩玉は色合いも、大きさも、違いがあるようには思えない。
しかし、ギンには理解できていた。この二つのどちらか一つに、乱菊の中から失われてしまった大切なものが取り込まれている。それを取り返す事だけが、ギンが百年願い続けて来た宿願であった。
指先を伸ばして、触れてみようかと思った。……乱菊の魂が取り込まれている方の玉ならば、もしかして、ギンにはそのことが分かるのではなかろうか、と思ったのだ。
(隊長格に倍する霊圧の死神が触った時に、覚醒するて、言うてたな)
ギン自身の霊圧は、藍染に比肩するとまでは言わなくとも、現在の護廷十三隊の隊長格になら、倍すると言っても過言ではない。
躊躇ったのは、ほんの僅かな時間にしか過ぎなかったと思う。
銀髪の男はゆったりとした動きで、手を、上げた。
(崩玉を覚醒、さして。……そんで、中に乱菊の魂魄が見つかったら、ボクはどないすんのやろ)
魂魄を、彼女ごと攫って、何処かに逃げるのだろうか。それとも、ただ、取り返したいと言うだけの妄執から解き放たれて、彼女に対する新たな思いが浮かんで来るのだろうか。
ギンには分からなかった、けれども。誘惑は、強烈に過ぎた。
ゆっくりと、掌が吸い寄せられて行く。もう少しで、触れると思った瞬間に、崩玉の色が変わって行く。さあっと黄金の色が差したその輝きに、流石のギンが一瞬我を忘れた。
(……乱菊、キミ、そこにおんの)
視界に、柔らかな少女の笑顔が見えた気がした。
(らん、ぎく)
その、瞬間。背後から、無慈悲な声が掛かった。
「その崩玉は偽物だよ」
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―――――『夜明けのブレス』:雨野とりせ
※この文章はあくまでサンプルです。内容は予告無しに変わることがあります。
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