◇最愛◇




 囁くように言いながら、ギンの片手が乱菊の腰に回り、もう片方の手はゆっくりと彼女の太腿のあたりを撫でた。怪しい手つきに、乱菊がびくりと身体を弾ませる。

(ま、まさか、……なにかされてしまうのかしら)

 花嫁衣装を着た女を見て、惜しくなるという男の真理は分からないでも無い。自分だって、ギンが任務でも花婿役等というのは見たくもない話だ。仕事中なのよ、と言おうとしても、舌が上手く動かない。

(だめ、だけど。……いやじゃ、ない)

 自分の気持ちを受け止めかねて、乱菊は混乱した。止めなければならないと思うのに、制止の言葉がどうしても口から出て来ない。むしろ、このまま身を委ねてしまおうかという思考すらちらりと霞め、乱菊は愕然とした気持ちになった。

(あたし)

 同時に、理解しつつはあったものの、もやもやとして定まらなかったここの所の彼に対する自分の気持ちに納得が行く。

(あたし、……ギンのことが、ほんとうに好きなんだわ)

 幼馴染みとしての情愛や、過去を共有した者同士である親密さの枠を越えた所で、男として、彼のことを。はっきりと自覚した瞬間、体中の血が沸騰するかのように思え、挙動不審になる。

「ちょ、ギン、……」

 今、彼に触れられるのは拙い。自覚してしまった何かが抑えられずに、この場から逃げ出してしまいそうだ。

 そんなことを考えながら、覚悟を決めてぎゅっと目を瞑った乱菊の耳に、ギンの普段と然程変わらないのんびりとしたトーンの訛のある言葉が響く。

「なあ、キミ今日、ガーターベルトやらいうの、つけとるん?」

 質問内容は、実に乱菊の想像とは掛け離れたものであった。

(な、……なんだ)

 些か拍子抜けしながら乱菊は頷いた。そうだ。ギンが任務中に他のことに夢中になる筈が無いではないか。それこそ乱菊が一番良く知っている、彼は外見に反して意外にも生真面目な男なのだから。

「靴下留めなんやろ?」

 聞かれて、よく知っているのね、と言いながら乱菊が頷いた。

「ここ来る前に、雛森ちゃんから聞いたんよ。あの子、ウエディングドレス着てお嫁に行きたいんやて」

 参考にしたいので、乱菊さんのドレス姿をちゃんとチェックして、どんなだったか教えて下さいね、と元部下の少女に言われたことをギンはあっさり彼女に伝える。雛森ね、と自らの隊長の想い人の可憐な容姿を思い浮かべつつ、乱菊が呟いた。

「一応は付けたけど、……最近の流行みたいに口で外す、なんて現世かぶれなこと言ったら蹴り飛ばしてやろうと思ってるわ」

 ドレスを着る時に、それで一騒ぎあったのだ。思い出すとまたむかっ腹が立って来て、乱菊はやや憤然とした口調で告げる。履いているのは踵の高いハイヒールだ、かなりなダメージを与えることも容易い。

「ふうん」

 それを聞いて小さい声で言うなり、ギンは突如として乱菊の足下にかがみ込んだ。

「え、ちょ、ギン?」

 突然の男の行動に、乱菊は対応しかねて狼狽えた声を出した。

「確認さしてもらうで」

 そんなことを言いながら、大胆にもいきなりスカートをぺらりと捲り上げる。太腿に直に手が触れて、乱菊が思わず竦み上がった。

「やっ、ギン」

 先程、彼への気持ちを自覚したばかりの彼女としては、抗議らしい抗議も抵抗すら出来なくてただ戸惑う。無論、ハイヒールで蹴り上げられる訳も無い。

「大人しゅうしとり、すぐ終わるさかい」

 お邪魔します、と言いながら、ギンは乱菊の太腿に付けられたガーターベルトの強度を確かめ、これやったらいけるな、と呟く。

「え、やっ、ちょ」

 ごそごそと膨らんだドレスの中でかがみ込んだまま動くギンに、乱菊が悲鳴混じりの声をあげた。しいっ、とギンが指を唇に当てる。

「大声だしたアカンよ、人来るで?」

 どないしたかて言い訳でけへんで、この体勢。困るやろ花嫁さんが、と言われて今更ながらに乱菊が顔を赤らめる。

「あ、あんた最低っ!」













―――――『病葉』:雨野とりせ



※この文章はあくまでサンプルです。内容は予告無しに変わることがあります。








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