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――― アレハココロノナイニンギョウデスカラ、トテモソンナ。
「アア、メンドクサかった」
ナタがからんと火を噴く槍を放り出すと、蹴るようにして風火輪を降りた。懐の乾坤圏が重い。
お疲れと言う天化が僅かに目を逸らしたのに、更に苛立った。
「…なにか、言いたいことでもあるなら言えば?」
「べつに」
そういえば明日は師父が洞府から尋ねてきてくれる日で、と話題を逸らしかけた天化の後ろから、しかし別の少年が噛み付くようにナタに食ってかかる。
「殺しすぎだろ、ナタ」
「…ンあ?」
「き、気分、悪くならないのか、あんな」
言いかけて、少年はまた気分が悪くなったらしく、眉間に皺を寄せて口元を抑えた。
ナタはぽかんとした表情で少年の顔を覗き込む。
「気分悪い?…って、顔色青いぞ、武吉。姜師叔の所で薬を分けて貰った方がいい―――…」
「そうじゃないだろ!」
武吉は青ざめた顔を上げ、ナタの顔を睨んだ。ナタはぴんと来ない表情で、首を傾げる。
「なにに怒ってるんだ?」
「血!」
「血?」
言いながらナタは自分の全身を見下ろす。赤い披巾が取り巻く軍装は、濡れて色が黒く変色し始めていた。
ナタが僅かに体を動かすと、まだ乾ききっていない鮮血が、ぽたりと乾いた地面に落ちる。
「ボクの血じゃ、ないよ」
「だからっ!」
苛立ったように武吉が首を振り、あんなに殺すことはなかったじゃないか、と何処か哀しそうに呟いた。
ナタはまた、困ったような顔をする。
「生憎、ボクはそういうの、わからないんだ」
武吉が哀しそうな顔をしているのは申し訳ないけれど。
飄々としたナタの態度に、武吉がもどかしそうに更に言い募ろうとした。
「知っている、知ってるけど!」
「武吉」
その時、少年の背後から静かな声が掛かり、額に三つ目の目を持つ白皙の青年が少年を手招きする。
「姜師叔がお呼びだ。急ぎの用だから、走ってくれ」
「分かりました」
不承不承という顔で武吉は頷き、その抜群の脚力でその場から走り去った。
同時に、どこかホッとした顔で天化が、ボクも父の所に行きます、と暇を告げる。
親友の後ろ姿を見送りながら、ナタは紅玉の瞳を眇めてつまらなさそうに現れた青年を睨んだ。
「楊兄って、お節介だよね」
「そうか?」
「師叔が呼んでるなんて、嘘だろ?別に、魂魄のない肉人形一人、何を言われても構いやしないのに」
「勘違いするな、お前に向かって説教しても武吉が傷つくから、あちらを庇ってやったまでだ」
「あ、そ」
お優しい楊兄には頭が上がりません、と言いながらナタは童顔を顰めてべぇと舌を出した。
その後で、どこか気が抜けた風情で風呂に入りたい、とぼやく。
「血が乾くとベトベトするし、取れないんだよな、髪の毛につくと」
楊センはただ静かに、川にでも行けばどうだと言い放った。
死ねない、魂のない人形である自分に、同情や憐れみを求められても困る。第一、ナタに膨大な「殺劫」を肩代わりさせている所もある仙人達が求めているのは、敵に情けをかけてやることではない。
その辺りのことは武吉にも分かっているのだろうが。
ふと、ナタは思いついたことを口にした。
「武吉には昇仙しないで欲しいよな」
「全くだ」
珍しく楊センが即答で同意をしたので、ナタは目を見開いてそちらを見た。
「アァ、そういえば楊兄も死ねないんだっけ」
「…まぁ、似たようなものかな」
曖昧な答えを返す青年には頓着せず、ナタは自分の質問を重ねる。
「封神榜のナカってどんな感じだと思う?」
「さぁな。オレは截教の奴等と同じ所に封じられるのなんか死んでもゴメンだが」
「いっぺん、殺しちゃった奴等だから、ボクより弱いだろうしねぇ」
「…考え方はそれぞれだが、な」
楊センの返事は相変わらず気のないものではあったが、その場を立ち去ろうとしないのに気をよくして、ナタはふと、思いついたことを口にした。
「ねぇ、ボクがもう一回死んでみたい、て言ったら、楊兄は殺してくれる?」
「オレにお前が殺せるとは思わない」
「殺せるよ」
言いながら、ナタは蓮の花が咲くような華麗な微笑みを零すと、胸の辺りを指で指した。
「ボクの魂魄はここにある。…この宝玉がボクの全てで、これが壊れたらボクは死ぬ。―――知ってるんだろ?」
はぁ、と明らかに楊センが溜息をついた。
「脳天気なヤツだな。太乙真人がお前を手放すか」
「そこなんだけどねぇ」
ケラケラとナタが嗤う。
「ボクみたいに使い勝手の良いのを毀して、咎められないのは、どこぞの偉いオッサンの親戚筋の仙人しかいないかなって」
どことなく挑戦的な少年の視線を受け止めた青年は、空惚けた飄々とした表情で肩をすくめただけだった。
「お前に見込まれるとは、オレはそいつに同情するよ」
「どケチ」
んべぇ、と再び顔を顰めて舌を出しながら、ナタは鬱陶しげに人血で貼り付く黒髪を指でかきあげた。
そして、突如腹を抱えて笑いだした。
むっと詰まるような人血の饐えた臭いの中、玉のような白い肌と穢れを知らぬ表情で、魂を持たない少年はただ、道化のような己の存在を嗤ってみせることしか出来なかったのだった。
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+++END.
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