「When the Sun goes down/太陽が沈むとき」
今はまだ、誰の邪魔も入らない。 誰にも、邪魔なんかさせない。 かつん、かつん、と石の階段を軽やかに登っていく足音。 爆弾発言とともに花屋を出てからずっと、ソフィーを抱えて歩き続けるハウルには、細い見かけよりずっと膂力があるらしい。 「どうしたの?あんたらしくないね、ソフィー。」 「……呆れてんのよ。」 腕の中ですっかり大人しくなったソフィーにハウルが問いかける。つい、とソフィーが顔を上げた。 「ね、ハウル。…どうしたの?」 「どうしたって?」 「あんたが訳もなくこんなことするわけないでしょ…カルシファーと何かあったんじゃないの?」 言ってみなさい怒らないから、喧嘩でもしたの?と言われ、ハウルが苦笑を漏らした。 「信用が無いなぁ。僕があんたに惚れてるから、とか考えないの?」 「…あたしだって身の程は知ってるわよ。」 ふぅ、とため息をついてソフィーが呟いた。あんたの好みは華やかでとびきり綺麗な、おとなしい女の子でしょ、どうせ、あたしなんか。 「なびかないから、ムキになってるだけなの、分かってる。」 あれだけ派手に言えば、あたしが何を言ったところでみんな聞きやしないものね、明日にはソフィーもハウルに陥落した、っていう噂が流れてるはず… ハウルが顔をしかめた。 「自分を過小評価するのはあんたの悪い癖だな、ソフィー。」 「なにが…きゃあ!」 突然支えていた腕がなくなり、落ちそうになったソフィーが咄嗟にハウルの首にしがみつく。一瞬だけ手を放した後、ハウルは前よりきつく彼女の体を抱き直した。 「もぉ!何するのよ!」 「いいかい、あんたは以前のおびえた灰色ネズミちゃんじゃないんだ。魔法も使える、男の目も引く、綺麗な赤毛のお嬢さんだ。」 僕の忠告を守って灰色の服も着てないし、『どうせ長女なんだから、うまくいかない』って思うのもやめたんだろ?と言われ、ソフィーがしぶしぶながら首を縦に振る。 「そんなあんたに惚れない男が、このインガリー国に居ると思うかい?」 ハウルの声音は優しかったけれど、ソフィーはうつむいてしまった。小声でぼそぼそと何か呟く。 「なぁに?聞こえないよ。」 もう一回言ってみて、と言われ、ソフィーはますますうつむきながら、ぽつんと言った。 「居るもの…あたしのことなんか、好きにならないひと。」 「そうかい。でも、その様子からするとあんたはそいつのことが好きな気配だな……どこの開きめくらだい?それとも…もうかみさんがいるやつなのかな?」 ふるふる、とソフィーが首を横に振る。しばらくためらった後、口を開いた。 「……魔法使いの…ハウル。」 呟かれた声は小さかったが、しっかりと彼の耳には届いた。ぴたっ、とハウルの足が止まる。ソフィーが体を固くした。怖くて、顔が上げられない。 ハウルの顔なんか見られない。女の子が彼を好きだと言ったとたん、興味をなくす人だもの。 「魔法使いのハウルなら…」 あたし、もし今、前みたいな80歳のおばあさんの姿だったら、間違いなく心臓が止まってるわ、とソフィーは思った。ばくばくと音を立てる心臓が、オーケストラのように大合唱を重ねている。 「魔法使いのハウルなら、よく知らないけど。」 ぱたん、という音に驚いて、ソフィーは思わず顔を上げた。立ち止まったのは、ハウルの部屋に着いたからだったらしい。彼女を抱え上げたまま、ハウルは部屋の中に足を踏み入れた。ドアがまたも自分でばたん、と閉まる。 「ハウエル・ジェキンズという男なら…」 薄暗い部屋の中でハウルの表情はよく見えない。ソフィーは緊張のあまり、唾を飲み込んだ。 「……ハウル?」 「僕なら、あんたが…」 そこで言葉を切って、ハウルは彼女の方を見た。薄暗い中でもきらきら光る、緑の瞳と目が合う。吸い込まれそう、と思ったのは瞳が近づいてきたからだったらしい。こつん、とおでこをくっつけられ、ソフィーはもう少しで気を失うところだった。 「で?」 「……で?」 悪戯っぽく微笑みながら聞かれ、もう正常な判断など出来そうにないまま、ソフィーはオウム返しに繰り返した。 「この続き、聞きたい?」 「き…」 何て事を言うのだ、この男は。 「……ぜひとも…聞かせてもらいたいに決まってるじゃない!」 意地悪そうににやにや笑うハウルに、せいぜい怒ったように言おうとするのだけれども、ちっとも成功しなかった。ハウルの瞳が、間近に彼女を覗きこむ所為だ。 「じゃ、聞かせてあげる。ただし。」 「……ただし?」 まさかそこで条件が出てくるとは思わなかったが。もし今ハウルが心臓をよこせと言っても、ソフィーは差しだしたかもしれない。 ハウルはそっと顔を離すと、おどけたように瞳をくりん、と回して、こう告げた。 「ただし。僕の花嫁になってくれれば、だけど。」 驚いたようにたっぷり一分ほど目を見開いた後、ソフィーから出てきた返事は 「…さっき、たった今からあんたの妻になったって言ったじゃない、ばか。」 というおおよそ可愛気とはほど遠いものだったけれど、その全身からぴかぴかの「嬉しい」オーラが出ているのは隠しようもなくて、ハウルはかすかに笑いながら、彼女の額に唇を落とした。 「まだまだ。」 「え?」 「妻になるのは、まだまだ今からだよ、って言ったんだけど。」 「へ?…え、え、ああ!」 そういえば、ここはハウルの寝室だった、とソフィーが状況を理解したのは、腕に抱かれたままシーツに沈められた後のこと。 「は、ハウル!ハウエル・ジェキンズ!まだ昼間なのよ!何を考えてるの!!」 「え?そりゃいろいろだけど?」 「や、いやー!せめて日が沈むまでは、イヤだってば!」 みんな下にいるのに!と叫ばれて、ハウルが苦笑した。 「あれだけ派手に消えたんだもの。みんな、今頃同じ事を思ってるよ。」 その言葉に、ソフィーはほとんど憤死寸前になる。 「もう明日から恥ずかしくて町を歩けないじゃない、ばかぁ!」 「いいよ。じゃあ、みんなが忘れるまで、城からでなきゃいい。」 なんなら僕のベッドからでもいいけど。という言葉はさすがに飲み込んだ。そのまま、今度は遠慮なくソフィーの赤毛の頭のてっぺんや頬に口づけを降らせる。ソフィーが観念したようにぴたっと動きを止めた。 「…続き。」 「ん?」 くぐもった声で言われ、ハウルが視線を落とす。頬を見事に朱に染めながら、ソフィーがハウルを睨んだ。 「続きを、聞かせてくれるって、言ったじゃない…」 心情的にはもうほとんどリーチがかかっている。しかし、ハウルが彼女をどう思っているかの答えをちゃんと聞かないのは、やっぱり不安だった。ハウルは黙ったまま彼女の左手をそっと持ち上げ、手のひらに口づけながら囁いた。 「僕はあんたが大好きだって、初めて会ったときに言わなかったかな?」 「…言ってないわよ。」 言ってない。口では、一回だって言ってくれなかったじゃない。言葉は詰るようだったけれども、ソフィーの視線は裏腹に優しい。そのまま首に腕を回してくる彼女を、ハウルはしっかりと抱きしめた。 「…じゃ、折角だからたまにはあんたの言うことを聞いて、日が沈むまでは僕がいかにあんたを好きだったか、しっかり言い聞かせるだけにしとこうか。」 天使の顔で告げて、そっと傍らに横たわったハウルが神様に見えたのは一瞬のことで。 結局ソフィーは、日が沈むまでの間ずっとハウルの甘い言葉攻撃による破裂しそうな心臓とどこまでも焦らされる焦燥感に耐える羽目に陥ることになる。 「やっぱりあんたって、ずるがしこくてわがままでクジャク並にうぬぼれやで臆病で、せっぱ詰まるまで何一つはっきりしたことは言わないし、ちっともいいとこないわ。」 指折って数え上げ、ふてくされたソフィーだったが、間近に迫った未来の夫にとろけるような表情のまま 「だから、あんたは僕が好きなんだろう?」 と返されてしまい、諦めきった表情でため息をついた。 「そうらしいの。…あたし、どうしよう。」 ハウルは笑いながら、その華奢な体を引き寄せる。 「だから僕も、あんたが好きなのさ、ソフィー。」 太陽が沈むまでには、まだ時間があるけど。 あと一つ、太陽が沈んだら。 明日からきみはぼくのもの。 ----happy?end. |