「サンライズ・サンセット/Sunrise・Sunset」


 日はまた昇り、沈んでゆく。
 繰り返す日々。
 ただ、だらだらと、日を過ごし、年を取っていくだけの。
 そこに、突然飛び込んできた貴方。


「あんたって人はっ!!なんべん言えば分かるわけ?!いくらあんたが王室付きの魔法使いで、高給取りでも、こう何時間もお風呂に立てこもってお湯と高価な薬と貴重な時間を浪費してちゃ、すかんぴんになる日も近いって、どーしてわかんないわけっ!!」
 柳眉を逆立てて、赤毛の少女が金髪の背の高い青年につかみかかる。それは、空飛ぶ城で毎朝繰り返される行事の一つだ。
「うるさいなぁ。ソフィー。耳元で怒鳴らなくても聞こえてるよ。…ねぇ、朝、お風呂に入らないと僕は耐えられないんだよね、いろいろと。それに、僕の長風呂なんて、今更じゃないか。」
「あっ、ちょっと!待ちなさい!!」
-----ぱたん。
 がみがみと小言を言うソフィーににっこり笑ってみせると、今朝もハウルは早々に風呂場に退却した。閉ざされたドアの前で、ソフィーが深いため息をつく。
「まったく、あの馬鹿魔法使いときたら…」
「ほんとほんと。でも、あんたも懲りないねぇ。」
 背後からの声に、ソフィーがぎょっとして振り返る。
「なんだ、あんただったの、カルシファー。」
 ぶらぶらと天井から垂れ下がる、この家に住み込みの火の悪魔。ちらちらと燃える青い炎の間から、意地悪そうな目が見上げてくる。
「よぉ。絶好調だね、ソフィー。ばあさんだったとき以上じゃないか。」
 世話女房だねぇ、と言われてソフィーの顔が自慢の赤毛と同じくらい朱に染まる。
「だ、だれが!大体、ハウルが一緒に暮らそうって言ったから居るだけで、私だって魔法の勉強をしたかったし元々住んでいた家で居心地が良かったからここに残っただけで、そんなんじゃ…!!」
「顔が真っ赤だぜ、ソフィー。」
 にやにや笑いを引っ込めない火の悪魔に、ソフィーは口をつぐんでカルシファーを睨んだ。
「おお、怖い。だけどさ、あんただって分かってるんだろ?ハウルがあんたに惚れて引き留めたってことくらい。」
 あーんな熱烈に告白されといてさ、ちょっとの風呂くらい見逃してやれば?と言われ、ソフィーがため息をつく。
「あのね…そりゃ、ハウルは一緒に暮らそうって言ってくれたけど…それは多分、あたしのことが好きだとか、そういうのじゃないと思うのよ。」
「なーんで!」
 びっくりしたようにくるりととんぼ返りを打つカルシファーを眺めつつ、ソフィーは苦笑いした。
「昨日は紫のドア、今日は赤いドア。」
「へ?」
「ハウルよ。毎朝のお風呂のおめかしと一緒に、女の子を口説きに行く習慣の方も復活しちゃったみたいなの。」
「ありゃりゃ…でも、さ。ハウルにとって運命の誠実な女の子って言うのは、あんたのことだったんだろ?ハウルだってその辺はよぉく分かってるさ。気のせいなんじゃないの?」
「気のせい…じゃないの。最初は、あたしだってそう思ったわ。」
 でもね、と言いながらソフィーは閉ざされたままの浴室のドアの前からカルシファーを誘って階段を下りた。
「毎日、どこかしら出かけたまま、夜まで帰らないし…花だの、お菓子だの、いっぱい抱えて出ていくし…この間、ハウルの服を洗ってたら…口紅が、ついてた、し…」
 だからね、と唇が動く。
「昨日、こっそり…あと、つけてみちゃったんだ。」
「…で?」
「前と一緒よ。ギター弾いて、隣に座って、楽しそうにお喋りして…でねぇ、私、よく考えてみたんだけど、ハウルって私に一緒に暮らそうとは言ってくれたけど、別に私が好きだともなんとも、言ってくれたわけじゃなかったのよね。」
 あのばか、と低く火の悪魔が呟いた。
「だから、きっと、ハウルは…マイケルと同じように、私が気に入ってるから置いてくれて居るんで、べつに、好きだ、とかそういうのじゃ…なかったのよ。」
「でもさ、ソフィー。」
 ソフィーがいいの、と遮る。
「あたしだって、その方が気が楽。共同生活者としてはいまいち不満があるけど、魔法は天才的だし、長風呂だけ直してくれれば、いうことない。」
 まだ何か言いたそうにぱちぱちはぜるカルシファーに向かって、ソフィーはにっこり笑った。
「さ、言いたいこと言ったらすっきりしちゃった。そろそろ、花屋の方が開店時間だから、行ってくるね!」
 言い置くと、ソフィーは店の方に向かってぱたぱた走っていってしまった。


「ハーウルッ!」
 突然天井からぶら下がった火の悪魔に、さしもの大魔法使いも一瞬ぎょっとした顔をする。
「なんだ、カルシファーか。邪魔するなよ。いまからいいところなんだから…」
「いいところじゃないだろ!お前、ソフィーのこと、どうするんだ?!」
「どうするって?」
 いまいち状況が飲み込めないらしく、ぽかんとするハウルに、カルシファーの炎が大きくなった。
「だから!お前はソフィーを嫁さんにしようと思ってこの屋敷に引き留めたんじゃなかったのか、って聞いてるんだよ!」
「…ああ。」
 ハウルは「みがき こな」と書かれた缶の中身を手に取りながら気乗りしなさそうに呟いた。
「ソフィーは、魔法の力の強さの割に、コントロールが下手だからね。もうちょっと何とかしないと、公共の迷惑でしょ。だから僕の元で修行させようと思って引き留めただけ。」
 言いながら、粉を盛大に泡立てて顔に塗る。
「おいおい、お前、ソフィーを引き留めるときに「末永く一緒に幸せに」とかなんとか口走っていなかったか?!」
 泡に隠れて見えない口から、ハウルが返答を返す。
「…言ったっけ、そんなこと。」
 あのなぁ、と反論しかけて、カルシファーは見えない表情の代わりに、ハウルの耳が真っ赤であることに気がついた。
 まったく、似たものカップルなんだからなぁ。
 しばし考えて、悪魔はなにやら思いついたようだ。ちろちろと、炎が悪戯っぽく揺れる。
「…よーくわかった。じゃあ、いいんだな。」
「何が。」
「店にあんまりでてこないお前は知らないかもしれないけど、ソフィーって、人気があるんだよな。まぁ、ハッター家の美人三姉妹といやぁ、ここら辺じゃ知らない奴はいないらしいけど。」
 カルシファーがソフィーのときに見せたのと負けず劣らずの意地悪な表情を浮かべる。
「最近じゃ、花よりソフィ目当ての若い男の客で大繁盛でさぁ。マイケルが零してたぜ。『ハウルさんが来ないから、代わりに僕が睨まれて困ります』って。まぁ、次女のレティはこないだ王室付き魔法使いのサルマンと結婚しちまったし、末娘のマーサはとうの昔にあんたの弟子のマイケルのとこに嫁に行くことが決まってて、花嫁修業の真っ最中だ。唯一残ってるソフィーがもてるのはまぁ、仕方ないよなぁ?」
「……何が言いたいんだ、カルシファー。」
 いつの間にか泡を洗い流したハウルが火の悪魔を睨む。悪魔はすまして先を続けた。
「だからさぁ。あんたにその気がないなら、さっさと手を放して嫁に出してあげたほうがいいんじゃないかなぁ、ってこと。」
 俺だって、ソフィーには恩があるから、できるなら幸せになって欲しいんだよな。
 続けた言葉に信憑性があるのは、そこだけは悪魔の本音だから。
「それは、ソフィーが決めることだろ。」
 不機嫌そうに言い捨てるハウル。悪魔が我が意を得たり、と言うようににたり、とした。
「知らないんだねぇ、あんた。ソフィーが何て言ってるか。」
 無視を決め込むハウルに、悪魔はなお嬉しそうに続ける。
「『ハウルが一緒に暮らそうって言ったから居るだけ』だって。しかも『共同生活者としてはいまいち不満がある』んだってさ。さっきも風呂場の前でぼやいてたぜ。」
 先ほどのソフィーの言葉の中から、故意に誤解を招くような所だけ彼女の口まねをしつつ抜き出す。
「だからさぁ、俺、思いついちゃったんだよね。たくさん求婚されりゃそん中から、あの鈍感なソフィーだって結婚相手を捜せるだろ、と思うんだよな。みんな、今はあんたに遠慮してる。だけど、あんたが関係ないって言うんなら、話は簡単だ。じゃあ、いっちょ触れて回ってくるぜ。」
「何を。」
 流石にぎょっとしたような顔でハウルが振り向いた。
「ソフィーは魔法使いハウルの恋人じゃないので、我こそは、と思う者はどうぞ彼女に結婚をお申し込みください…ってな。」
「カルシファー!!」
「怒るなよ。そのほうがあんただって気が楽だろ?思う存分、新しい女の子と遊べるぜ?」
「そういう問題じゃ…おい!」
 ハウルの後の言葉は聞かず、火の悪魔はするりと空気取りの穴から姿を消した。


「ソフィー、おい、ソフィー。」
「あら、珍しいわね。カルシファー。手伝いに来てくれたの?」
 昼時、客でごった返す店内に現れた火の悪魔に、ソフィーが笑顔を見せた。
「ソフィー、こっちにカスミソウを束でおくれ。」
「こっちはカルミアだ。急いでいるんだ。」
「バラを、贈り物に。綺麗な、女の子の好きそうな花束にしておくれよ。」
 降るような注文を、ソフィーは手際よくこなしてゆく。合間に入る「ソフィー、今度どこかに出かけないか?」とか「今夜は暇かい?」などというぶしつけな誘いはかわしつつ、にこやかに接客するその姿は、なかなか堂に入ったものだ。魔法使い見習いのマイケルも、花束を作ったり花をそろえたり、忙しく走り回っている。カルシファーが入ってきたのは、ちょうど裕福そうな青年に大きな花束を渡そうとしているところだった。
「う、いや、どっちかというと、邪魔…かな。」
「え?」
 気の毒そうに火の悪魔が呟いたまさにそのとき。けたたましい音と一緒に、店の奥の扉が開いた。
「カルシファー!!!」
「ハウル?」
 ハウルが叫んだのと、ソフィーが不審げに呟いたのは、どちらが先だったか。ソフィーが首を傾げるのも無理はない、ハウルはいつもの彼らしくもなく身支度を途中で切り上げたらしい。艶やかな金髪に櫛もあたっていないし、服装もおしゃれな彼に似合わずなにやら慌ててそのあたりにあったものを引っかけただけのようなひどい有様だった。その様子を見た火の悪魔は嬉しそうに店内をちらちらと飛び回り、甲高い声で叫んで回った。
「もう遅い!もう遅い!!言っちゃった!言っちゃった!!」
 何を、とソフィーが尋ねようとするまもなく、眉をつり上げたハウルがつかつかと店内に踏み込んできた。呆気にとられるソフィーの目の前で、裕福そうな青年に問いかける。
「君は、ソフィーの客かい?」
「え?ええ、そうです。」
 ハウルの質問の意味が分からなかったらしく、とっさに青年が答えた。ハウルが腕組みをして、不機嫌そうに眉をちょっとつり上げる。
「そうかい。でも、悪いね。これは、売約済みだ。」
「ちょっと、ハウル!何を言ってるのよ!」
 言うが早いかソフィーの手から大きな花束を取り上げたハウルに、ソフィーが抗議の声を挙げる。ハウルはそのままその花束をばさっ、と青年の手に押しつけた。
「これは、持って帰りたまえ。」
 きょとんとする青年の目の前で、白皙の魔法使いはソフィーを軽々と抱え上げた。
「え?え?!ハウル!ちょっとちょっと…!きゃあ!」
 いわゆる「お姫様だっこ」状態のソフィーが状況を理解できずにじたばたともがく。
「皆さん、聞いてくれたまえ!このソフィーは王室付き魔法使いであるこのハウルの妻だ!よって今後、一切手出し無用!もしも言い寄る男が居たら容赦なくヒキガエルに変身するよう呪うからそのつもりで!」
 切られた啖呵は裂帛の声で。店内が、しんと一瞬静まりかえった後、蜂の巣をつついたような騒ぎになった。当のソフィーは目を白黒させるばかり。
「ちょちょちょ、ちょっとちょっとハウル!!」
 何事よ、何の悪い冗談よ、説明しなさい!と喚きながら腕の中で暴れる彼女をものともせず、ハウルはきびすを返してつかつかと歩き出す。
「ハーウル!!ねぇってば、ハウル!!」
「なに?」
「なに?じゃないでしょ!聞きたいのはこっちよ!あたしいつからあんたの妻になったのよ!」
 真っ赤な顔で詰め寄るソフィーに魔法使いはとろけるような笑みを浮かべてたった一言
「今から。」
 と告げると、言葉も出ないソフィーを抱えたまま、意気揚々と屋敷の中に姿を消した。
「……は、ハウルさん?」
 後には、状況がつかめずに呆然とする魔法使い見習いと、火花を盛大に散らしながら大笑いする火の悪魔が客とともに取り残されるのみ。
 マイケルが、さっさと逃亡したカルシファーに代わって事情を知らない客達(特に男性客)からの無慈悲な質問責めに会うのは一分後のことである。

 がやがや谷は、今日も騒々しい。
 新しく花嫁となる女性を腕に抱いた、魔法使いハウルの空飛ぶ城を除いて。
 この日、結局城に帰るのをためらったマイケルがソフィーの実家に顔を出し、翌日猛り狂ったレティを始めとするソフィーの家族が二人を祝福(?)するために城に押し掛けることになるのだが。
 それはまた、明日のお話。


 僕の生活を一変させたのこそ、貴女。
 だから、ねぇ?君は。
 責任取って、末永く一緒に、幸せに…暮らすべきなんじゃない?



----happy end??




 


 

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