キスのためにできること
-A Kiss for Cinderella-

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「ソフィー、ソフィー?」
「なぁに、マルクル」
「プレゼントが届いてるよ!」

 言いながら、少年はリボンの掛かった大きな箱を差し出す。
 受け取ったソフィーは、着いていたカードを開いてまぁ、と呟いた。

「カブからだわ」

―――どうも、一国の王子を捕まえて未だに「かかしのカブ」呼ばわりもどうかと思うのだが、いきなり王子と呼ぶのもしっくりこないので、未だにソフィーは彼のことを「カブ」と呼ぶ。王子の方も、どうもそれを面白がる…というよりも寧ろ喜んでいるような節さえある。
 もっとも、色恋に対しては鈍感の見本市のようなソフィー相手に『僕が”カブ”と呼ばせるのは君だけですからね』などという口説きはするだけ無駄というものだが。

「なにー?ねぇ、なにが入っていたの?」
「ちょっと待ってね」

 言いながら、好奇心剥き出しのマルクルの前で真っ白なリボンを解き、大きな金色の箱の蓋を開ける。

「わぁ!」

 歓声を上げたのはマルクルの方だった。箱の中には美味しそうなチョコレートがぎっしり詰まっている。
 ソフィーも勿論甘いものは嫌いではないのだが、それでもこの場合、矢張り飛び上がりそうに喜ぶマルクルには敵わない。
「ね、ソフィー、これ食べていい?」
 きらきらの瞳で見上げられ、ソフィーはそうね、としばらく考えこむふりをして、それじゃあ、と諭すように少年に言い渡す。

「そうね、『わしゃジャガイモはきらいじゃ』とか『わしゃ魚はきらいじゃ』なんて言わないようにしたら、一日にひとつずつ、食べてもいいわよ」
「ええー、一個だけー?」
「そうよ?虫歯になっちゃいけないもの」
「ハウルさんに魔法で治してもらうよ」
「あのね、マルクル」

 安易に魔法で何もかもするのは良くないわ、とソフィーが言おうとした瞬間、後ろから延びてきたすらりとした指が早くもチョコレートを一粒摘み上げた。

「男からの贈り物の定番だね。芸がないな」

 胡散くさげにチョコレートを眺め、フンと鼻を鳴らす青年の名前をソフィーが呼ぶ。

「ハウル」

 青年は摘み上げたチョコレートをぽい、と暖炉に放り投げてカルシファーの口に入れてから、にっこり微笑んでマルクルを向き直った。

「マルクル、全部食べてしまっていいよ。虫歯になったら僕が治してあげるから」

「え、ほんとう!」
「ちょっと、ハウル!」

 マルクルの歓声と、ソフィーの非難の声が同時に挙がる。ハウル自身は悠々と、そういうわけだから、とソフィーの手からチョコレートの箱を取り上げた。

「君の美貌とスタイル維持に協力させていただこうと思って」
「べつに、そんなもの、気にしてなんかいないもの。それよりも、私まだひとつも食べていないわ?」
「食べたければ僕が贈るよ」

 きっぱりと言い切り、ハウルはさっとその金色の箱をマルクルに手渡す。

「さ、マルクル」
「ちょっと、マルクル!ダメよ、そんなに一度に食べたらお腹壊しちゃう!」

 少年はどちらの言うことに耳を貸そうか一瞬迷ったようであったが、やはりここは師匠の貫禄か、ハウルがあちらへ行きなさいと手振りで示すと、チョコレートの箱を抱えたままたったか走り出してしまった。

「マールークール!もうっ、ハウル」

 少々憤慨しながらソフィーが振り向きかけると、ハウルはぴこんと指で彼女の鼻の頭を弾いた。

「ソフィー、君は、少し鈍すぎ」
「…え?」
「分からないだろう?なら、いいよ」

 それだけ言うと、ハウルも満足したのかさっさと上階の自分の部屋に引っ込んでしまった。
 後に一人残されたソフィーが盛大にクエスチョンマークを散らしていると、ミシミシと安楽椅子を揺らしながらカルシファーの炎に当たっていた荒れ地の魔女がひょ、ひょ、ひょ、と声を挙げて笑う。

「罪作りな女さね、あんたも」
「おばあちゃん。どうしよう、ハウル…気を悪くしたのかしら」
「まさか。たまにその位振り回してやったっていいのさ、調子に乗るとつけ上がる一方だよ、男ってのは」

 ひょい、とコケティッシュにウィンクをしてみせると、荒れ地の魔女はいつもどこからともなく取りだしてくる葉巻の先を切り、火を点ける。ぷかぁ、と美味しそうに一服して、わたしは甘い菓子よりこちらが一番、と満足そうに呟き、少々意地悪な視線で不安げなソフィーを見上げた。

「そんなに気になるなら、追い掛けて行ってみればいいじゃない?女は度胸だよ」
「おばあちゃん……」

 全くアドバイスにもならない応援の言葉を背中に受け、ソフィーは気乗りしないながら、ハウルの部屋に続く階段を登り始めたのだった。



□■


「ハウル、ハウル?」

 ノックをして呼びかけても返事はない。普段のようにずかずか入り込んでいってもいいのだが、それも今日は少し躊躇われた。
 出直そうかしら、などと気弱いことを考えていると、それより先に中からドアが開いて部屋の主が姿を現す。

「なに、ソフィー」
「ハウル」

 顔を見た瞬間、ソフィーは言葉に詰まった。そう言えば、こう言うときはなんと言えばいいのだろう。悪かった、というのは少し違う気がするし。暫く悩んで、ソフィーは恐る恐る切り出した。

「あのね、ハウル。あなたはくれないの?」
「なにを」
「チョコレート。…男性からの贈り物の定番なんじゃないの?私、まだ誰からも貰ったことはなかったわ」

 その後で、不安そうにハウルを見上げながら、尋ねてみる。

「ハウルは、贈ってくれないの?」

 一拍置いた後、ハウルは突然大爆笑を始めた。理由が分からないソフィーが何かおかしな事を言っただろうか、と狼狽える。

「え、あの、ハウル?」
「ソフィー、ソフィー…あんたってば、本当に可愛い人だね」

 くっくっく、と収まらないのか含み笑いを続けながら、ハウルは彼女の背中に腕を回して自室にエスコートした。

「入りなよ、チョコレートとお茶をご馳走しよう」
「…ありがとう」

 何か釈然としないまでも、どうやらハウルの機嫌は直った(そもそも、損ねていたかどうかも怪しくなってきたが)らしい、と踏んだソフィーは、案内されるまま、相変わらず雑然と雑多なものが散らばるハウルの私室に足を踏み入れる。この部屋は散らかっている方が居心地が良いとハウルは主張するのだけれど、ソフィーにはどうしても納得がいかない事のひとつだ。

 中央付近にある不思議な模様の入ったテーブルセットの椅子に腰を下ろすと、ハウルがぱちんと指を鳴らして、その中央にティーカップとポットが浮かび上がる。なら魔法でなんでもやればいいと思うのだが、ハウルの魔法の得手不得手、というかムラにはきりがなく、ソフィーは相も変わらず毎日家事を続けているし。

「はい、どうぞ」

 コトンとカップと共に小皿に美味しそうなトリュフチョコレートが置かれる。盛りつけられた黒と白の甘い菓子に、ソフィーが僅かに頬を弛めた。

「わぁ」
「召し上がれ」

 言いながらハウルが一つを摘み上げ、ソフィーの口元に持っていく。
 どうしよう、と躊躇ってはみたものの、ここまでの経緯を考えると素直に従った方がいい気もして、そろりと口を開ける。
 すると、ハウルは伸ばした手をくるりと翻し、チョコレートを自分の口にぽいと放り込んでしまった。

「あ、」
「なに?」

 にっこり微笑んで問い返されても、ソフィーはなにも、と言うことしか出来なかった。
 なんとなく、もう口がチョコレートになってしまっていたのに。

「なに?チョコレート欲しかった?」

 少し意地悪な口調で尋ねられたので、つい彼女の方も意地を張る。

「ううん、そういう訳じゃないの」
「本当にソフィーは我慢が好きだね」
「え?」

 驚いて振り向くと、その口唇に柔らかいものが被さってくる。なにが、と思うより先に、口内に温かく溶けたチョコレートが混じり込んできた。はねつけるより先に、チョコレートの味を歓迎してしまって、ソフィーは思わず目を閉じる。

 暫くして唇を離し、ハウルはにっこりと微笑んだ。

「チョコレートの媚薬効果は抜群だな」

 かぁっと顔どころか全身を赤く染めながら、ソフィーが半分照れ隠しに拳を振り上げる。

「もう、キスがしたかっただけなんじゃないの!」
「当然だよ、僕はソフィーとのキスのためなら、いつだって全力を尽くすね」

 そのまま本気で殴る気などない拳を魔法のように絡め取って腕の中にソフィーを引き寄せて、ぎゅっと抱き締めながらハウルが囁く。悔し紛れにソフィーがその胸をどん、と叩いて抗議をした。

「呆れたことにだけ、勤勉なのね」
「ソフィーに対しては、って訂正してくれる?」

 とりあえず、現在の所インガリー国内随一のベタ甘カップルのバレンタインは、こうして過ぎてゆくのであった。







**********

+++END

 

 

2005年バレンタイン創作。ぎ、ぎりぎり…
原作ハウルならバレンタインデーはあるだろうけれど、映画はどうかな?

 

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