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―――未来で待ってて
それは少年の日に心が聞いた約束。
名前を呼ばれた。驚いてその方を見れば、―――泣いている?
「なんで、泣いているの」
僕の声は聞こえないようだった。女の人があんな風に泣いているところを、僕は初めて見たかもしれない。
それまで僕の回りにはあんな風に感情を大きく表に出す人は、一人も居なかったから。
髪の毛の色が、すっかり流れ星に染まって銀色にきらきら光って。
大きな瞳から流れ落ちる涙の雫も、それこそ今墜ちてくる星達のように七色に煌めいて。
ああ、綺麗な人だなぁ、とぼんやり思ったのを覚えている。
そして、彼女は僕を見る。とても哀しそうに。
ねぇ、あなたはなにがそんなに哀しかったの?
どうして僕を待っていてくれるの?
分からないまま大人になって、ある時にふと。
すごく楽しく人生を送っていたはずなのに、ふと。
どうしてだろう、彼女のことを思いだした。
カルシファーと出会ってから、僕は心が沈む、なんてことを経験したことがなかった。
なのに、彼女の顔を、あの泣き顔を思いだしただけで、心がずしんと、鉛の錘でもつけられたように重く沈む。
そうすると、すごく大事なことを思い出しそうな気がするのに…思い出せない。
彼女にもう一度逢うことが出来たら、心が沈むことも無くなるのだろうか。
それとも、この、空っぽの胸の内に何かが宿ってもっとずしりと重くなるのだろうか。
インガリーの空は気まぐれで、時々ずしりと重いほど泣きそうな雨の匂いを含む。
その辛気くさい感じが嫌いで、良く城の扉を回して抜けるような青空を探して、そちらに遊びに行っていた。
自分が自分じゃなくなる感覚が好きだった。
縛られるなんて囚われるなんて、とんでもない。重くなったら逃げ出せばいい。
僕は何処にでも行ける、なんでもなれる、それだけのこと。
魔法使いハウルであるということは、そういうこと。
別に、女の子の心臓なんて要らない。そんな重ったくて仕方がないもの、邪魔なだけさ。
なのに、その日起き抜けに頭痛がするほど憂鬱な灰色の空と銀色の雲を見た瞬間、僕は不意にあの涙を思いだしてしまった。
泣くなんて。―――泣くなんて。心も体も重くなってしまうのに、泣くなんて。誰かのために泣けるなんて。
「分からないな」
口に出して呟いてから、そういえば僕は一度でも本当に「他人のため」に何かをしようと思ったことなど無かったなと苦笑する。
「カルシファー、お湯を用意してくれるかい?」
僕は、探そうと思う。―――いや、気まぐれに思った。
あんな風に泣いて、未来で僕を待っている人が居る。
見つけるのが、まだ少し怖い気もするけれど。
「今日は、インガリーのお祭りだとか言っていなかったか?久しぶりに出かけてみようかな」
予感にも似た期待を胸に、僕は揺りかごの様に守られ飾り立てられたベッドを抜け出し、ふわりと床に降りた。
ねぇ、あなたは僕のどの未来で待っていてくれるのかな。
直ぐに飽きてしまうかもしれないけれど、たまにはそういうのもいいさ。
そう思って出かけた僕が、幾千の花々が咲き乱れたような色の洪水と化した祭りの広場のど真ん中で、一人無彩色に震える灰色の子ネズミを見つけるのは、正にその日の出来事だった。
それは叶えられるべき遙かなる未来の約束。
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+++END
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